2010年4月15日木曜日

第2回講義

 「面白い講義」等、何の意味も無い。
 「面白い授業」というものは、あって良いし、その方が望ましい。生徒達がやる気になる可能性がある、それを喚起することが出来る為。ただ、これら「受身の」内容提示は、ある段階までの作業に留まる。
 問題は「情報」を提示する事ではなくて、「方法」を提示する事、それを受け取った学生達が自分のものとして「再現可能」な所まで持って行く。
 その為に「科学」として割り振られている、「~学」という名前と分野でアプローチの対象が異なるだけで、「方法」は一貫している。
 所謂「米国型」は、「相談」しているだけ。情報を増やし、相互に共通する語彙を相手に覚えさせる作業。
 「バカ(または能力の余り高くない者)は口を開かずにいる方が『得』であり『徳』」だという事を、客観的にしばしばしみじみと感じる。が、それ以上の問題は「バカである事に気付いていないケース」で、こうなるともう救いようがない。