2010年2月3日水曜日

成長と飽和4

3.教会と教会人 :「司祭と司教」 中世盛期から一般化した社会イデオロギーに従えば、この世界は祈る者、戦う者、耕作する者から成っていた。(8)…まずカトリック教会は大きく見て在俗教会と律修教会に分けることが出来る。在俗教会の主要な職務は俗人の司牧であって、教区聖堂や司教座聖堂で司祭或いは司教によって遂行される。この司牧活動は信仰の指導と秘蹟の付与とからなる。後者は神の恩寵を儀礼によって人間に伝達する行為と観念されており、12世紀には洗礼、堅信、告解、聖体拝領、結婚、終油、叙階の7つと定められた。このうち俗人信徒に関わるのは前の6つである。[洗礼、堅信など]が一回限りであるのに対し、告解と聖体拝領は可能な限り頻繁に受けるべき秘蹟である。前者は信徒が犯した罪を司祭に告白して神の許しを得、贖罪に関する指示を仰ぐ事を、後者はミサに出席してキリストの肉体に化すと信じられたパンを食する事を意味する。結婚は秘蹟としては12世紀から登場したもので、このことは教会の結婚制度への関与の深まりを表す。
また終油は、信徒が臨終に際して全ての罪を告白した上でもう一度自らの信仰を宣言し、司祭が主の赦しを祈念する秘蹟である。このように信徒の生活にとって秘蹟は必要欠くべからざるものと考えられていた。 司牧の管轄地として最小のものは教区であり、そこには教区聖堂がおかれている。その多くは俗人貴族や修道院が保有し、若しくはパトロンとして影響力を行使していた。十分の一税の殆どはこうした保有者若しくはパトロンの手中にあった。聖堂は彼らからの援助、小規模の固有財産からの収入、教区民の遽金などによって維持されていた。司祭職には禄が設定されていたが、多くの教区聖堂は本来の受禄者が赴任しておらず、代理司祭の手に委ねられていた。 司祭の知的水準にはばらつきがあり、底辺には殆ど文字が読めないものもいた。聖職者としての貞潔の戒律を守る度合いにもこうしたばらつきが見られ、12,13世紀においても相当数の司祭が女性と同棲していた。 教区の上に来る総合的な管轄区は司教区である。司教区の中心には司教座聖堂があり、司教及び(9)司教座聖堂参事会が置かれている。司教は各地に布教したイエスの使徒の後継者と看做され、司祭の叙階をはじめとして司教区の問題全般について広範な権限を保持している。その大多数が有力領主階級の出自であり、世俗の諸侯に対応する存在と考えられていた。概して知的水準は高く独身制も一般に守られていた。。司教座聖堂参事会はこの聖堂の業務を担う司祭の団体で、その成員は司教に告ぐ高い権威を保持していた。
司教区がいくつか集まって教会州あるいは大司教管区を形成する。この管区の司教団のうちで一つの司教座は歴史的経緯から特に高い権威を付与されており、その司教は大司教と称するのである。彼は管区内の新司教を叙階し、また司教団に対してさまざまな主導性を発揮する。 ・修道士と律修司祭: 修道士と律修司祭は、宗教的修行のために世俗社会を離れ、戒律に基づく共同生活を送る教会人であり、それぞれ修道院と律修参事会を構成する。10,11世紀は修道院改革の運動が西欧を覆ったが、その中でベネディクト会クリュニー派が大発展を遂げた。…ベネディクト会修道士は、カロリング時代以来、何よりも典礼祈祷のエキスパートとしての性格を強めていた。領主階級の人間たちは評価の高いベネディクト会修道院にしきりに寄進を行い、その祈祷の功徳に与ろうとしていた。このような状況でクリュニー派は、秩序だった修道院運営と華麗な典礼によって人々の信頼を勝ち得たのである。 ついで12世紀にはシトー会が勢力を伸ば[す]。(10)司祭が戒律に基づく共同生活を実現しようとする律修参事会運動は11世紀後半から活発となった。全体として修道院と近似したものであるが、あえて相違点を上げるならば、俗人への伝道活動が重視される点であろう。… 修道士は大多数が領主階級の子弟であり、特に修道院長はほとんど有力領主家系の出身者であった。… 13世紀のはじめには、全く新しいタイプの修道制が生まれてきた。即ち修道士が所領であれ自営地であれ土地財産を保有せず、喜捨によって生活する托鉢修道制である。
また彼等の活動の中心は典礼祈祷ではなく、俗人向けの説教である。フランシスコ会、ドミニコ会、カルメル会、聖アウグスティヌス隠修士会の4大托鉢修道会は、中世後期のカトリック教会の最も活動的な部分であった。このような修道制の発生の背景には、清貧をスローガンとする民衆の自発的な宗教運動の展開と、それを正統教会の枠内に繋ぎとめようとする教会当局の意向が働いていた。しかしより巨視的に見るならば、これは西欧の宗教活動の戦略的な舞台が農村から都市に決定的に転じた事の表れでもあった。都市には古い規範が解決できない社会問題があり、農村は都市で行われる事を模倣する。また喜捨は活発な流通経済を前提とし、説教は多数の聴衆の結集を前提とする。実際、これらの修道会に属する修道院は、以前の修道院に比べて都市的な地域に立地する傾向がはるかに強いのである。