chapter8 キリスト教と民衆的想像世界 池上俊一 一。創造世界における民衆的なもの …(231)本章で扱う「民衆的想像世界」は、民衆宗教や民衆文化の一部である…。 ・民衆=迷信論: (232)まず、文化や宗教といったものを俎上に載せる場合に、中世のローマ・カトリック教会の論者そのままに、キリスト教的なイデオロギーを自らのものとして「民衆的」なるものを否定的・貶価的にとらえる見方がある。より端的には、それを異教の残滓とか、魔術的な行為とか、公式の文化や宗教の退化形態だとして、底に何ら創造的・積極的機能を見出さない立場である。 このような把握方法は、既に教父の聖アウグスティヌスに遡る。彼は、民衆的な慣習を「迷信」と呼んで、それを根絶すべきことを説いた。…当初より、樹木や泉の崇拝が異教的な偶像崇拝として教会人ののろいの的となり、それを根絶するための初期中世の布教家・聖者たちの努力は、大変なものであった。死者が周期的に聖者の親族を訪れるという俗信や、仮面をつけ、ドンちゃん騒ぎをし、互いに贈り物をしあう機会となった幾つかの異教的祝祭も、同様に断罪された。これらの断罪は、初期中世の多くの司教区教会会議の決定やフランク王国の国王による勅令に含まれるばかりか、初期中世から正規中世にかけて多数編纂された贖罪規定書にも詳細に列挙されている。 … ・民衆の固有性評価: 次に「民衆的」なるものをより積極的に評価する見解がある。民衆は、エリートとは異なる文化・宗教を持(233)っており、その中に浴して日々の生活を送っていたのであり、それはエリート的なるものの退化形態でも、異教の残滓でもなく、エリートのキリスト教や異教の影響を受けつつも、それらを独自のプランで組織化していったものである。そこに、固有の価値と機能を持つ「民衆のキリスト教」が出来上がったのである。更にそれは、単に受身の産物ではなくエリートの文化や宗教に逆に影響を及ぼして、それを変化させることさえあったのである。
[宗教史家ドラリュエル]によると、中世には、一方にエリートの公式・厳格なキリスト教があり、他方には「弱き人間」の日常の必要に見合う形で生み出された、奇跡を絶えず希求するような民衆の素朴なキリスト教があった。そしてこの二つのキリスト教は、相互に無関係ではなく影響しあうのだとされる。… 次に、霊性の歴史の探求者であるヴォシェも、キリスト教の冷静の中に民衆的なものとエリート的なものを分けて、両者の関連を探って居る。中世においては、聖性にいたりつく特権的手段は修道士や聖職者に独占されていた。彼らのみが聖書を読むことが出来、詩篇を朗誦でき、祈祷に身を捧げることが出来た。民衆は、エリートの信心行のいくつかを模倣して、沸き起こる宗教的渇仰を満足させた。四旬節の断食や日曜ミサへの出席がそれである。しかし民衆の冷静は、過激な福音主義やヒエラルキー批判に見られるように時に、教会制度の枠、そして難解な教義の枠をはみ出すことがあった。ヴォシェによると、それにもかかわらずこの二つの霊性は交流可能で、(234)あい携えて発展していったのだという。その理由は、聖職者の多くが、現実には民衆の霊性の大海原によくしていたからである。教会はカロリング期以来、民衆の霊性の構成要素のうち、取り込めるものは取り込んで教義や儀式を形成して逝った。聖者崇拝や天使崇拝がこうして生まれ、また正規の万聖説制定は、民衆の間に広まっていた死者崇拝を汲み取って出来たものなのである。 それまでどちらかと言えば受動的であった民衆は、11世紀末、教会を揺るがした改革運動の後で、魂の救いを求めて大規模な宗教運動を展開した。それは、教会改革者を援護するとともに、ラディカルになりすぎて当局を苦しめることもあった。ともあれ、歴史的・人間的キリストの姿の発見と、使徒的生活やメシアニズムへの憧れなどを中核に据えた民衆的霊性が、ここに大きく開花する。
更にもう一人、マンセッリは、ドラリュエルとは異なり、中世キリスト教が二つに分かれて、民衆宗教とエリートの宗教に分割されていたことを否定し、それは実際は発現形態が異なる一つの宗教なのだとする。…エリートがキリスト教の啓示の言葉(聖書)によって与えられたデータを概念的に体系化する傾向があったのに対し、民衆はその同じ啓示を概念的現実としてではなく、上からの権威に保証された真実として受け取り、更にそれを主観的に選択受容して、歴史的に構造化された心的シェーマの中に統合していった。取り分け民衆は相互に普段に影響しあい、常に出会いと合流を求めていたが、その相互浸透・適応が一段と進み、新たな方向を目指したのは11世紀以降だという。それは何よりも都市の出現が原因となっている。…(235)[3社の見解はいずれも]民衆の宗教や霊性に固有の価値を認め、またエリートの宗教や冷静に対して受身一方と看做すのではなく、主体的に畑r機かけていく能動性を付与している。また3人は一致して、11世紀が大きな転機だとする。それは教会改革運動と都市の出現のためである。 このような新しい論点は、民衆宗教の母体たる「民衆的想像世界」についてもほぼそのまま当てはまるであろう。… ・口承と筆記の交替劇: (236)シュミットは…観念やイメージの伝達や変容が口頭でなされるか、それとも文字でなされるかに注視し、その交替に権力の操作の介在する余地をかぎだしている。公的な権力を身に帯びた聖職者が、彼らの独占する文字・記述行為を介して民衆文化に権威と秩序と抑圧を課すべく、口承で野放図に広がっていたイメージ世界のイデオロギー統制を試みるのである。…[ほかにグレーヴィチは](237)太古の時代に起源し現代の未開種族にも見られるような、宇宙との融即の感情、占い・予言・農耕儀礼などの呪術的慣行の存在を西欧中世に見つけ出して、それは長い中世の間殆ど不変不動であるという。…「民衆的想像世界について」、次のように纏めることができよう。それは、民衆の間に口頭で伝わるキリスト教以前の伝承とエリートのキリスト教の合作として盛期中世に大きく切り開かれた世界であり、独自の構造と機能、意味と価値を備えていた。しかしそこにはいつも権力・支配のイデオロギーが介入しようと身構えていたのであり、それは何よりも口頭伝承を文字で書き留めることを媒介として行なわれたのである。