六。都市の発展 ・商業と都市発展:(22)かつては中世の都市発展の経済的側面をもっぱら遠隔地商業と結びつける考えが支配的であった。
それによればローマ帝政期後半から遠隔地商業が衰退し、中世前期には殆ど消滅したから、都市もまた消滅して自給自足の農村社会になった。11世紀以降、地中海と北海を中心に遠隔地商業の復活が見られ、それとともに中世都市が生まれたというのである。…しかし今日、多くの研究者は中世都市の経済的発展を寧ろ周辺農村の農業生産に支えられたものと捉えている。そしてこの見方は、中世都市のみならず都市一般の本質を地域中心としての機能に見出す主張と密接な関連を持っている。… 中世前期について…、イタリア・ガリアの大部分においては殆どの古代都市は、ある程度規模を縮小させたが、司教座都市として存続し、地域の宗教的、経済的、行政的中心であり続けた事を指摘しておきたい。そのほかイタリアでは中世前期にアマルフィ、フェラーラ、ヴェネツィアといった新都市が生まれている。ガリアではカストルムないしブルグスと呼ばれた囲壁集住地が、司教座についで都市的な機能を果たしていた。またムーズ川、ライン川の下流沿岸では9,10世紀に独立の港町が発達し、ポルトゥスと呼ばれていた。これらの集落では、遠隔地の商品と並んで在地の生産余剰が取引の対象となった。これに対してライン以東のゲルマニアでは勿論ローマ都市の伝統は存在せず、司教座の開設も8世紀以降となる。ここ(23)では司教座を含めてブルグスと呼ばれる囲壁集落が、防備拠点であると共に市場集落でもあり、「都市的核」となっていた。ローマ都市がいったん消滅したイングランドもほぼ同じ状況で、ブルフと呼ばれる囲壁集落やヴィクと呼ばれる港町がそうした機能を果たしていた。
11,12世紀になると、都市は著しい成長を遂げた。既存の都市ないし都市的核の大多数に隣接して新しい付属集落(ブルグス)が形成され、商工業を発達させた。新旧の集落は多くの場合地誌的独立性を長く保ったが、次第に一体の活動も生まれてきた。他方でいくらかの農村大所領の拠点(修道院本院、城塞など)の周辺にもこうした新しい付属集落が成長し、そのうちのあるものは都市的発展を遂げた。 いずれの場合も商工業者の活動を促したものは、益々増大する農業余剰の集積、領主と言う大口の消費者の存在、領主の保護や防備施設によって確保された相対的安全といった要因であった。更に12世紀以降、王侯が計画的に都市を建設し、商工業者を誘致する事例も多くなった。ライン以東地域およびイングランドのかなりの都市は、このような建設都市である。しかし、この段階でも大部分の都市の主要な機能は地域の経済、宗教中心、場合によっては政治中心という事に変わりは無い。その商工業も一般には都市周辺の地域の需要に応じた生産と流通と言う性格を保持していた。 勿論地域によっては、都市は単なる地域中心の水準を超えて、遠隔地商業や大工業を擁するようになった。北イタリアと南ネーデルランドの諸都市が代表的で、それぞれ地中海商業、北海商業の拠点となり、また毛織物工業の著しい発達を見た。そのためこれらの都市は例外的な人口を有するようになったのである。12世紀以降、フランス東部にこの両地域を結ぶ南北交通路が発達し、それに応じてシャンパーニュ地方に大市が発達した。13世紀になると北東ヨーロッパのいくらかの都市は、北海、バルト海での遠隔地商業のためにハンザ同盟を結成した。こうした遠隔地商業や大工業に依拠する大都市と、地域中心としての中小都市が織り成すネットワークが、現在大(24)きな関心を集めている。