2.ギルド -その起源と展開ー 中世の商人や手工業者の同職組合、所謂ギルドの起源については、様々な学説がある。…(352)社会不安の一般的な中世にあっては、人々は自衛の手段として、封建領主と支配・庇護の関係を結ぶか、或いは同等者からなる仲間を結成するほかは無かった。特に領主の支配を脱して自立的に営業を営む手工業者または事情不案内な遠隔地を旅行する商人にとっては,同職組合を結成することは必要不可欠なことであった。商工業を安全に営む集団的保証という所にギルドの本質があり、それに仲間意識を醸成する様々な行事、規約が付随的に発生したのである。 アルプス以北のギルドに関する最古の史料は、779年カール大帝のハリスタル勅令に「なにぴとも相互宣誓によりギルドに結合すべからず」とあるのがそれであるが、これは恐らく異教的礼拝行事が行われる事を禁止する措置であったと言われる。…9世紀にはギルドの萌芽形態が形成されつつあったのである。 商人ギルドが明瞭に姿を現すのは、1021-24年の頃、修道士アルベルト・フォン・メッツによって記録されているティールのギルドである。ティールはドーレシュタットの吹田以後、その地位を引き継いだ商人集落であるが、あるベルトによれば、そこの商人ギルドは、皇帝の証書によって認められた独自の商人法によって係争を裁き、債務争いが起こったときには決闘や神判によって真偽を決定するのではなく、ただ潔白の宣誓によってことを決した。また彼等は共同の金庫を持ち、その金によって毎年一定の時期に共同の飲食会を催したといわれる。 ギルド規約が伝えられている最古の例は…、(353)実際は毛織物商ギルドの規約であるが、その原初部分である28か条を見ると、第一に宗教的義務が強調される。ギルド員は聖ペトロ、聖ニコラスの祭日には、12本の灯明を献じ、聖霊降臨祭には施し物を供え、死者があれば艶を行い、埋葬に列席する。…。 初期のギルドは商人を主体とし、それに手工業者が加入するという包括的な形態を取り、位置都市にいわば一つの商人ギルドしかなかったのであるが、荘園の領主館で働く隷属手工業者が自立化し、あるいは都市近隣の農村手工業者が都(354)市に移住して、手工業者の数が増えるにつれ、手工業者は職種別のギルドを結成するようになった。
ドイツでは手工業者ギルドを、ツンフト、アイクヌンクなどと呼んだが、その最初の例は1106年ウォルムスの猟師ツンフト特許状である。特許状は、漁獲とその販売権を23名の者に制限し、更にその世襲を認め、相続者の欠けた場合の補充の仕方を規定している。…ケルン市では、1149年市の実力者市民団体によって、敷布織工ツンフトの設立が承認されて居るが、認可状は、同職者がすべて所属すべき事、加入し無い者は厳罰に処せられること、ツンフトは干拓地に開設された市場に屋台を置いて敷き布を売ることができること、と言う簡単なものである…。(355)以上の諸例によって、ギルドの目的が組合員の営業の保証、相互扶助、そして非組合員を当該営業から排除する、所謂ツンフト強制にあったことが伺われるであろう。 南ドイツの司教都市では、都市領主が個々のツンフトに営業を認可するという形を取らず、各ツンフトを一括して司教役人の統制したに置き、領主に対する貢租を義務付けていた。…イタリアの手工業者ギルドも早くから権力者を保護者に置く傾向があり…ギルドはコレギウム、オフィキイウムのほかに、アルテと(356)称され、14世紀初頭のフィレンツェには7つの大組合、14の小組合があった。 一般的に言って、商人ギルドは12-13世紀の時代に成立、普及し、手工業者ギルドは1世紀遅れて形成された。イギリスではエドワード1世時代(1271-1307年)に議会に代表を送った160の都市のうち、92までに商人ギルドの存在が確認されるという。そして、この商人ギルドが中心となり、手工業者ら下層市民を糾合して、都市自治権闘争が展開されていったのである。