2010年2月3日水曜日

知識と社会5

二。民衆的想像世界の変容   ・異界描写: (238)異界巡歴のテーマはキリスト教の初めより存在するが、「異界描写」が大量に作られて、そのイメージが一般に普及するのは12-13世紀のことであった。これは、瀕死の者或いは神の恩寵を得たものの魂が、夢の中で死後の世界を遍歴し、天国や地獄の様子を見物ないしその苦楽を実際に経験して、再び目覚めて後、周りの者達に具にその報告をするといった形式を持つものである。[それらは天国・地獄など曖昧な像でしかなかったが]…11-12世紀を過渡期として、12世紀後半から13世紀にかけて全盛期を迎える異界描写は、初期中世とは対照的に極めて迫力ある具象的イメージに満ち満ちており、異界の地理もはっきり区画化されるようになる。…(239) 盛期中世に広まった…異界描写の第一の大きな特徴は、それ以前のものには無い具象的でヴィヴィッドな描写である。たとえば、地獄や煉獄で体の各部分に加えられる微に入り細を穿った責め苦の模様や、麗しい天国の建物の有様の描写がそれである。[例えば]暗い霧が一面に立ち込めた深い死の谷の底には…焼けた石炭が一杯詰め込まれて、その上に鉄のボイラーが据えてある。ボイラーの中では殺人を犯したものの魂が炎による責め苦に喘いでいる。これらの魂たちは、ボイラーで焼かれて灰燼に帰した後、とけたロウが布でこされるように漉しだされる。この責め苦のプロセスは、何度も繰り返し行なわれるのだという…。(240)このような『トゥグヌグダルスの幻視』の描写にうかがわれるように、12-13世紀の異界描写においては、魂と言う不可死の霊体であるはずのものが、あたかも「小型人間」でもあるかのように、肉体と五感を備えて苦痛や快感を感じる存在として描かれている。
更に、魂たちの赴く場所の描写も、具体的と言うか、当時の西欧各地に見られた景観を奇怪化ないし理想化したものとなっている。それは、異界や罪の贖いや善業についてのキリスト教神学の抽象的な議論を、一般の信徒にも極めて分かり易く手に取るように、肌にしみるように、目の前に繰り広げられるようにイメージ化した結果であろう。見方を変えれば、そのように、民衆文化・民俗文化から借用した、換言すればあらかじめ民衆の「検閲」を受けた形でのみ、彼らの心に訴えかける異界描写が可能となったので[ある]。 異界描写においては、キリスト教の正統教義が、具体的イメージを用いて語られるに留まらず、時に神学者らの伝統的な見解と背馳するような教義も堂々とイメージ化され、それが逆に、神学者達の議論に変更を迫ることがあった。例えば、元々正統教義によると、キリスト教徒の魂は最終審判時にすべて纏めて裁きに掛けられ、古い分けられて地獄に堕ちるなり天国に上るなりするはずであった。ところが盛期中世の異界描写では、各人がその死亡時にただちに生前の功罪に応じて報いを得るのであり、最終審判を待つことなく、善良なものの魂はよき報いを得て、悪辣なものの魂は相応の責め苦にさいなまれるように描かれているのである。…第二に、それぞれの異界描写の発祥した地域の現実の住民がしばしば登場することも特徴的である。…(242)要するに、臨場感あふれ迫力ある異界描写が成立したのは、それが民衆の嗜好にかなったからであるし、そうした嗜好におもねる事によってのみ、教会は、その教義や倫理を彼らの頭と胸に効果的に植えつける事が出来ると判断したのであろう。 こうして12世紀以降、異界描写は発祥地域・事情の特殊な瘢痕をとどめつつも、ほぼ共通した特徴と構造を備えたものとして、幾つものヴァージョンで西欧全域に「記述」と「口伝」を繰り返しつつ流布していく。

そして、異界のイメージがその一角をなすような「民衆的想像世界」の全体像も、丁度この時期に姿を整える。それは最早「民衆的」と言う形容詞と受ける必要の無いほどにエリートをも民衆をも巻き込んで西欧全体を覆い包んだのであり、まさに想像世界における西欧の成立を、ここに認めることが出来る。… ・魔女の夜間飛行: 12,13世紀の異界描写は、民衆とエリートが共同して作り上げた想像世界を表現していた。或いは寧ろ、それは、キリスト教の起源より存在した異界とそこでの魂の運命に関する教義を、民衆が自らの嗜好にあうよ(243)うに「検閲」を加えた結果できあがったものである、といった方がよいかもしれない。しかし全く反対に、もともとの異教的な表象に、エリートが「検閲」を加えながら想像世界に取り込んでいく、といった現象もしばしば生じた。[例えば]魔女は空を飛べる。これは魔女狩りが本格化した16,17世紀には自明のことであった。夜の帳が下りると、魔女達はその体に悪魔から貰った秘密の膏薬を塗り、棒やほうきに乗って、悪魔を囲む魔女たちの集会である鯖との開催地まで飛んでいく。たとえ家の扉が仕舞っていても、人知れず煙突や窓から抜け出して飛んでいくことが出来る。そしてサバトで悪魔を礼拝し、倒錯した狂気の沙汰に耽ってから、再び空を飛んで自宅にもどり、平気な顔で朝の支度を始めるのである。[この伝承は900年ごろの『司教法典』や11世紀初頭ドイツの贖罪規定書、12世紀シャルトルの文献に見られる]。-「幾人かの悪辣な女達は、サタンのために堕落してその手下となり、悪霊のもたらす幻覚に誘惑されて、次のように信じまた言っているという事に、ここで言及しないわけにはいかない。即ち彼女らは、夜、異教徒の女神であるディアナあるいはヘロディア(洗礼者ヨハネの首をはねさせたヘロデの妻)に率いられ、無数の女達ともどもある種の動物に乗って、夜の(244)深いしじまの支配する中、地上を大変な距離、横切って移動する。
女達は、自分らは女主人たるディアナの命令に従って、予め決められた幾夜かに彼女に仕えるべく召喚されるのだ、と公言する」。『司教法典』は続けて、このように公言する女達は不信心であり、自分が破滅するだけならまだしも、他の無数の女達をも同じ過ちに導いている、として告発している。そして小教区教会を任された司祭は、唯一の神以外に女神など存在せず、女神に先導された夜間飛行は、信徒達の魂に悪霊から送られた純粋の幻影だと、全力を傾けて説き教えなくてはならないとした。…[夜間飛行する女の他]もう一つの構成要素は、女が夜、ローマの豊じょうの女神ディアナとともに騎乗して外出するというイメージである。ディアナは、月や夜と密接に関連し、またしばしば地下の冥界と魔術の女神であるヘカテーと同一視された。… このような民衆の心の古層に横たわる異教的表象はキリスト教が広布されたあとも殆ど無傷で民衆の間に温存されていた。エリート達は、盛期中世から後期中世にかけて、それらのうち幾つかのイメージの(245)意味を入れ替え、特に悪魔化しながら、西欧文明と一体化した新来の想像世界に位置づけようと努めたのである。 異教をめぐるキリスト教のかような戦略は、現実の女性に対する聖職者の態度からもうかがわれる。即ち、確かに初期中世にも、後の時代の魔女に類した人物はいた。隣人やその動物にのろいを掛けて病気にしたり、性的不能にしたりしているといった嫌疑を掛けられた女性は少なくなかったのである。11-12世紀にはその数はより一層増えて、彼女達は逮捕されたり処刑されたりすることがあった。が、そのような呪術の背後に、悪魔の存在を想定したり、ましてや彼女らが自ら悪魔と契約を結ぶ挙に出たとして追求することは、まだ全く問題になっていなかった。

 12世紀までは、悪魔や悪霊に人やものを動かす大きな力を認める神学者はいなかった。… ところが13世紀以降、呪術使いの女らは、はじめて悪魔と結びつく。それはあいつぐ民衆的異端の族生、とりわけ二元論異端たるカタリ派の蔓延が、神学者達に「悪の問題」を深刻に取り上げ反省するよう促したこと、そしてやはり同時期に、彼らが、善悪は「人格」とその「意図」があって始めて発生する倫理的関係であり、したがって「責任」もその「人格」にふりかかるのだ、という議論を展開したことが思想的背景となって居る。また同じころよりスコラ学においては、悪魔が「場所」移動に関して持つ力が際立って大きなものとされるようになるが、そうなると、悪魔の領域である大気中で、人や物を動かす力が彼らに備わって居るのは当然だと考えられ、後に「魔女の夜間飛行」が現実視されるのを助ける事になった。 かくて13世紀後半から14世紀に掛けて、かつての呪術使いの女は悪魔と結託するのみでなく、単なる迷信におぼれた哀れな女から、裁判に掛けられ自白を共用される凶悪な確信犯、即ち「魔女」に変身する。 (246)中世末・近世になると、このような思想的潮流が折からの政治的・社会的危機にもまれて黒々とした奔流となり、上に紹介した初期中世の「魔女の夜間飛行」の構図は全く逆転する。15世紀末から16世紀に掛けての悪魔学者の数々の著作を紐解けば明らかなように、サバトが実在するのと同じように、「魔女の夜間飛行」も、全く疑う余地の無い物理的現実とされるようになったのである。 魔女狩りのバイブルとなった二人のドメニコ会士ヤコプ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスによる『魔女の槌』(1486年)の第2部第3章では「魔女はいかにして場所を移動するか」について論じられている。

彼らによると、魔女達は実際にその体ごと物理的に遠隔地まで移動するのだという。神の許しを得た悪霊は、ゆりかごの子供を遠くに移して、自分がその子供と入れ替わったり、また時には罪の重荷を負っていない普通の人をも大気中に運び去って遠隔移動させることがあるのであるから、自らの意思で悪魔に未をゆだねたもの(魔女)が悪領によって遠隔移動させられても、何の不思議も無い。魔女はこの飛行のために、洗礼前の赤子のからだで膏薬を作って、椅子や木片に塗りつけて大気中に飛び上がる。そしてこの夜間飛行については、逮捕された魔女は皆自白しているし、その噂は津々浦々まであまねく広まっている、とこのように説く。 「魔女の夜間飛行」は、最早夢でも幻覚でもない。女たちは、確かに悪魔・悪霊の遠隔移動で実際に遠い距離を飛ぶのだと、教皇の或いは国王の権威を体現したエリートの司法官は宣言し、その考えを一般に普及させる事になる。「魔女の夜間飛行」は実在する。だからこそ彼らはその恐るべき犯罪のわずかな証拠・痕跡でも見つけ出そうと、密告を奨励し、徹底的な訊問をし、目をおおわしめる拷問を課したのであった。実在する夜間飛行を経験した女こそ、とりもなおさず火刑台に送って抹殺すべき「魔女」なのであるから。 …。