三。民衆的想像世界と社会 ・農村・都市の発展と普遍的イデオロギー: 第一に指摘しなくてはならないのは、農村と封建領主の台頭である。紀元千年を越えると、西欧の経済・社会の(248)構造は大きく変容した。大規模な開墾運動によって森林は征服され、次々耕地に変えられて行く。更に技術革新のお陰で農業生産力が増大すると人口も増え、農村は嘗て無い活気を呈するようになる。また農村の社会的組成は次第に複雑化するが、それは世俗・教会双方の封建的権力の網の目にとらえられて、新たな秩序が作り出される事になった。ここに成立した新しい社会構造は、俗人貴族の封建的主従関係のピラミッドと、世俗ないし教会領主に対する大多数の農民の土地と労働を媒介とした従属関係たる領主制を基本としていた。そして社会構造の細胞ともいえる農村は、概ね教会とその司祭を中心とする小教区と重なっていた。 さて、一つないし複数の農村を支配する領主のうちには、次第に力を蓄えていくものが現れる。彼らは、新たに起こした家系の正当性を公に認めさせるために民衆文化を利用する事に思い至る。メリュジーネなどの妖精物語や動物への変身譚、或いは英雄や古代都市を巡る伝説などが、そのための好個の素材となった。そうした口頭伝承は、読み書きの出来る聖職者によって書き留められ、記述と口伝を繰り返しつつ領主層・農民層に伝播していく事になった。教会は、建前としてはそこに迷信や異教の残滓や悪魔の惑わしをしかみないとしても、この時代には、多くの聖職者が、民衆が作り上げた美しくも不可思議な世界に魅惑されたこともまた確かである。民衆とエリート両者の間の思惑のずれや対立、そして融合の試行錯誤は勿論あったが、いずれにせよ貴族と農民を包括した農村生活の活性化が、脅威の世界歴史世界への関心を呼び覚まし、盛期中世において「民衆的想像世界」を育てていく第一の機動力となったのである。
こうして端緒を得た「民衆的想像世界」は、12-13世紀に本格的展開を見せる。それは、普遍的な権力のイデオロギーによる想像世界の統合・組織化をスプリング・ボードとしている。これが、第2の要因である。フランスを例にとれば、国王は、一連の組織改革を経て諸侯達の影響力を骨抜きにし、封建制によって分断された地方主権の多元性を克服して、徐々に中央集権化を実現していった。それは12世紀末から13世紀に掛けてのこと(249)であり、その結果、法生面ではばらばらの慣習法がローマ法の影響を受けた制定法によって統一され、と同時に社会の上層から下層へと、順々に習俗の洗練の機運が高まる。それを精神面で補完したのが、教会のイデオロギーと霊性であった。いや、「民衆的想像世界」の展開にとっては、こちらのほうが必須のものであった。既に10世紀末の「神の平和」「神の休戦」で素描された普遍的なキリスト教的秩序追求は、11世紀後半以降、「グレゴリウス改革」や十字軍の遠征で一段と活発化する。13世紀には教会の中央集権化は完成し、それを裏打ちする教会法と神学も体系化する。一般信徒の中には、改革的教会人以上にラディカルなキリスト教世界の表象、すなわち、福音主義使徒的生活の理念を掲げ、清貧に徹する平等な信徒達の共同体としてのキリスト教世界像を信奉する者が現れた。とにかく、この時代に登場した、教権と俗権を包括する一つの普遍的なキリスト教世界こそ、「民衆的想像世界」の登場人物たちがそれぞれ意義深い役柄を演じながら縦横無尽に活躍する最大の舞台であった。 第3の要因としては、11世紀末ないし12世紀初頭の都市の復興をあげねばならない。都市の復興と市民生活の発展は、「民衆的想像世界」をより豊かにするとともに、やがてその変容をもたらす原因にもあった。
都市では、商人や職人と言う、土地の呪縛から解放され、思うまま富を追求する新たな社会層が生み出されたが、13世紀になると、農民とは全く異質の価値観や生活様式を持つ彼らと市民を対象とするインテンシブな司牧活動が、ローマ教皇の唱導によって展開する事に注目したい。それを主として担ったのは、托鉢修道会である。托鉢修道会は、その修道士たちが市民出身でしかも布教対象であるという、全く新しいタイプの修道会であった。信徒個人個人の内面を隈なく把握しようと言う教会当局の方針は、遂には1215年の第4回ラテラノ公会議における告解と聖体拝領の義務化に結晶する。こうして教会は、「民衆的想像世界」にも、折からのスコラ学を特徴付ける厳格な論理と倫理を注入し、更に合理化して、自分の懐に回収しようと図ったのである。「民衆的想像世界」は秩序立てられ、善悪の無造作な混合を阻むようになる。 (250)このように、盛期中世(11-13世紀)においては、農村でも都市でも民衆文化とエリートのキリスト教のより緊密な接触が見られた。両者は相互に検閲・加工しあって融合し、こうして西欧社会独自の普遍的な「民衆的想像世界」が誕生し、発展する事となったのである。… 後期中世の都市では、俗人がより積極的に、宗教生活において大きな役割を果たすことを要求し始める。教会はそれゆえ、都市においては権利や財産の侵害とともに、教義の侵害(異端)にもおびえる事になる。都市での市民の活発な信仰生活は、世俗文化の開花とあいまって、キリスト教世界と並んで都市が「民衆的想像世界」の参照系となることを赦すであろう。都市の建設神話がさおうだし、都市のコスモロジーを確認する行列や祭りの盛況、さらには国王にまつわる諸儀礼の発達もその証拠となろう。
都市で生活するエリート達にとっては、世代を重ねるごとに、農民起源の迷信はますます理解の手の届かないものになる。都市が成熟し、周りの農村とははっきり異なった世界となると、相互の無理解と不信と侮蔑の感情が募ってくる。都市のエリートにとっては、最早、農村にすくうキリスト教と無関係な異教の残滓を「迷信」としてのろうことが問題なのではない。農村に巣食って居るのは、より由々しく、人類全体を脅かす悪魔の手下達とそのたくらみなのである。そして「迷信」のほうはといえば、その領域は異教からキリスト教内部に移り、正統な慣行の最中に侵入する涜聖行為の謂となる。即ちそれは、教会や墓地における聖性の侵害を指し、具体的に派生なる祝祭日を無視した生活態度や聖油の売買等々を意味するようになる。疫病や戦乱にひっきりなしにさいなまれた中世末になると、既に名ばかりの普遍的権力となった教会は、その権力・権威の無謬性・善性を裏付けるために、それ以前には幻覚に過ぎないと否認していた異教的表象を手のひらを返したように現実だと言い張る。しかも自らその現実性の保証人を買って出るとともに悪のレッテルを貼って裁く、(251)という原告と裁判官を兼ねたような捨て鉢な手段にすがる事になる。また他方では、市民が俗語文学や演劇などの都市文化を育んでいき、想像世界にも彼らの投射したイメージが大きな比重を占めるようになってくる。彼らはグロテスクな、滑稽な、はたまた無邪気なイメージを持ち寄って、聖なるイメージを苔にして笑い飛ばすが、それが昂じると、嘗てキリスト教的イデオロギーによって統合されていた「民衆的想像世界」は破裂し、その構成要素のイメージはてんでんばらばらになって散乱し、新たに強力なイデオロギーが登場してそれらの布置を決定するまで、気ままに浮遊する事になろう。
・時間と空間: 最後に一つ付け加えれば、「民衆的想像世界」は、その時代の人々の時間・空間認識と不可分の関係にある。対極的に見て、初期中世の農村の生活様式に適合した循環的・典礼的時間と身体や家屋の延長としての空間の認識は、盛期中世には都市の成熟や合理主義の進展とともに、より抽象的で客観的な存在としての空間と直線的で強度に組織化された時間(商人の時間)へと移行するといえるが、そこに、永遠の時に向かって世界創造から最終審判まで矢のように一直線に走る時間認識と、仮の宿りであるこの世と永遠の世界である天国と地獄を対比させた空間認識を特徴とするキリスト教的な救済史の時間・空間認識が不断に渡り合って、「民衆的想像世界」を構造化していったのである。もう一つ、12,13世紀の「民衆的想像世界」の飛躍的発展には、脅威の時間空間認識…、ケルトや古典古代の遺産を汲んだ世界観ー時間が逆に流れて若返ったり、一日が百年に相当したり、この世とあの世が貫入しあっていたりする世界ーの影響が極めて大きかったことも、言い添えておこう。