2010年2月3日水曜日

成長と飽和1

江川温・服部良久編『西欧中世史(中) -成長と飽和』(ミネルヴァ書房・1995年)
概説 成長と飽和 1.人口の増大と農業発展(1): 11世紀始めから13世紀末にいたる時期は、西欧の歴史の中でも特筆すべき経済成長の時代であった。先ず着実な人口の増大が見られる。…西欧世界全体に人口成長が見られたが、その中でもアルプス以北のエルベからピレネーまでの地域の成長が際立って高く、この地域の(2)人口総数は古代文明の中心地であった地中海沿岸地域のそれを凌駕するに至ったのである。 「農業発展」:この持続的な人口増大は、農業生産の著しい上昇の原因でもあり結果でもあった。農業発展の要素として先ず挙げられるのは農業用地の増大である。古くからの定住地における、目立たない拡大、大規模開墾と新村の建設、海岸の干拓などを、その事例として挙げる事が出来る。そしてこの農業用地の中でも、穀物栽培用地の割合が特に増加した。これは13世紀の末には既に危険な状況を作り出した。即ち森林と採草地、放牧地の現象が有畜農業のバランスを崩し始めるのである 。 次に挙げられるのは技術上の革新である。まず水車は古代にも知られていたが,11,12世紀ごろ西欧に拡大した。鉄製の農具も、既に中世前期から先進的大所領で使用されて居るとは言え、多数の農民の手元にいきわたったのは11世紀以降である。これは鉄製農具の製造、修理の技能者である鍛冶屋が村々に定着する過程を伴っていたと考えられる。この中でも取り分け重要な意味を持ったのが、犂の刃である。
中世前期の犂の刃は木製であったため、アルプス以北の落葉広葉樹の堆積した土壌を深く耕す事が困難であった。鉄製の刃と撥土板を備えた新しい犂が、この土壌の生産性を著しく高めたのである。また改良された繋駕法も同じく中世初期に始まり11世紀に普及する。馬の場合、この改良によって10倍ものエネルギーを引き出すことが可能になるという。 穀物栽培における三圃農法は、土地利用の高度化、気候変動によるリスクの分散、季節ごとの労働量の平均化といった長所を備えている。これも一般には9世紀ごろパリ地方の大所領で始まったとされるが、これが西北ヨーロッパに広く普及するのは12,13世紀の事である。取り分け共同体による耕作強制を伴う三圃制は、放牧地が乏しくなった12世紀以降の産物であると考えられる。 (3)こうした革新の結果、播種量に対する収穫量の割合も上昇した。…いくらかの教会所領や都市近郊所領の中世後期の資料から導かれる10倍前後の収穫率は、中世農業革命の成果とみなすことができる。これについては帰国条件、土壌の質と並んで、投下された資本量が恐らく重要な意味を持っていたと思われる。即ち技術革新の成果を十分に取り入れるためには、一続きの形に整序された後代で肥沃な耕地、多数の家畜などが必要であり、このような条件を満たす経営は限られていたのであろう。 ともあれ人口と農業生産の増大は、農村の数を増大させ、城や修道院を叢生させ、都市的集落の増加と成長を支えた。しかし農業生産の成長は人口のそれに追いつくことが出来なかった。14世紀の始めの西欧は人口の飽和、更には過剰の兆候を呈し始めるのである。