(2)中世国家の特質ー法の優位 (137)若し中世の政治思想の特徴と看做しうるものがあるとすれば、それは「適法性」の果たす卓越した役割を重視している事である。…中世の法解釈は「法はその起源のゆえに国家と同等の地位にあり、またその存在のゆえに国家に従属していないと言う考え」、「国家は前存する不変の法の理念を実現する使命を負って居るという確信」に満ちている…。まさしく「最高権力にとってさえ乗り越えられない法律上の境界が存在する」という点に、ローマの国家間とは大きく異なる姿勢が中世にはあった[とする意見がある]。ローマ人もまた国家を法との関連で理解していたが、彼らにとって法と国家は相関的な観念であって、両者を引き離すのは絶対に不可能であった。これに対し中世人にとっては、国家と法は、互いに緊密な関係にあるとは言え、全く別個な二つの事柄であったばかりでなく、国家に基礎を提供するために法が国家に対して優先権をもつと理解される必要があった。 さて、ダントレーヴによると、上のような法と国家の関係についての中世世界とローマ世界の相違を理解するには、12世紀にまで遡る、教会法の大集成である『グラティアヌス法令集(1140年ごろ)』の序論の中に見(138)られる若干の定義を読むだけで十分である。最初の定義によれば「人間は二つの法によって規律されている。すなわち自然法によるのと慣習によるのとである」。自然法と実定法との相違は、ここでは普遍的で無限に強制的な諸規範と、一定の人間社会に固有の慣例(=人定法)との相違として提示されている。しかし別な箇所での定義によれば、人定法はただ単に慣習からのみなるのではなく「法律」からもなるのであり、また語の厳密な意味における法律は「成文法規」ではる。にもかかわらず、その一番奥深い本質において人定法は何よりも先ず「慣習法」であって、実定立法は「慣習法」を何か特別の目的で文章化する手段にしか過ぎないと。
このような定義から、中世の政治理論の出発点となる特有の法律感の本質的特長が明らかになる。すなわち中世においては、法は、ローマにおけるように立法者の自覚的で決然とした意志の創造行為に負って居るのではなく、集団生活の一面でありあり、慣習や慣習の全体と看做される。そして立法行為はただ単に、一定の社会において暗黙のうちに受容されていた一段の規則(慣習法)の、成文化による承認として描かれるのである。 …重要なのは、このような観念が、極端に単純化された大変に古い社会制度観、すなわち、遠い昔の慣習や伝統が宗教的色彩を帯びており、また畏敬に近い崇拝と敬意の対象となって居るような、原始人に特有の見方に明瞭に一致していると言う事実である。その上このような観念は、社会生活の優れて静態的な理解を特徴としており、その結果法は、人間の改善のために彼の手に委ねられた手段と看做されるのではなく、神秘的且つ超越的な力が人間に押し付けた制限として現れる。 こうして、ローマ人が慣習法に対する成文法規の優位を公言していたのに対して、中世においては逆に、実定立法は最早既存の慣例の承認や確認でしかなく、この非個人的な最高の慣例が、一切の政治権力の源であると同時に制限ともなるのである。 (139)「法の優位」の原則は以上のような意味において理解されるのであるが、ダントレーヴによると、この原則は中世の国家間を理解する上での出発点となる根本原理である。[中世においては]「国家」という言葉は何処にも記載されていない。言及されているのは常に、法律によって縛られ、またその権力が法律によって厳格に条件付けられている統治者だけである。…「国王は人間にではなく神と法に服さねばならない。何となれば、法が国王を作るのであるから」。そして、中世の政治理論において法の非個人性と権力の個人性がこのように奇妙に結びついている事から中世国家の特質を為すさまざまの結果が生じて居るが、ダントレーヴによるとその中でも特に重大なのは次の三点である。
恐らく一番重要な結果は、権力が制限されかつ責任あるものとしてのみ理解されえたという事である。統治者は法の執行者に過ぎなかったがゆえに、権力は制限されていたのであり、また法は統治者と被統治者を結ぶ相互の義務を表していたがゆえに、権力は責任なるものとされていたのである。そしてこのような観念は、統治者と被統治者の関係が君主と家臣の典型的な封建関係として理解されていたと言う、国制上の現実に深く根をおろしている。というのは中世の君主が「古き法」を守り、自身も遵守し、且つ執行させる事を約束した義務的宣誓によって、この関係が認められ裏付けられていたからである。こうして国家は、若しこの言葉を権力の行使と理解するならば、それは「法の優位」と言う堅固な岩に根拠を置いていたのである。 第2の結果は、権力の「私的」行使と「公的」行使の間に明確な区別が存在していなかった事である。…このような「公」「私」の混同は、ただ単に封建的社会組織の出現だけによるものではなく…(140)慣習法に由来しない普遍法規の責任を負いうるような主権的「国家」はまだ存在していなかったのである。 上と並んで第3に、宗教問題と政治問題の混同もまた、ある程度私的領域と公的領域の区別が存在していなかった事に由来していたと言える。前に見たように、中世においてres publicaはキリスト教世界を意味していた。しかしこの「キリスト教国家」は現代用語で「国家」と「教会」と呼ばれているところのものの特徴を持っていて、ただの国家ではなかった。したがってその内部においては精神的ないし宗教的関係と物質的ないし世俗的関係がはっきりと区別されておらず、統治者が遵守して起用する事を誓っていた「法律」がもっぱら世俗的な法律だけではなかったのは驚くにはあたらない。つまり、国家の固有の性格は、はっきりと定義され完全に独立した諸関係の全体と言う特徴としてはまだ認められていなかったのである。 ダントレーヴによると、中世国家はおおよそ以上のような特質を持っている。そして、中世の政治思想はやがて実際上の必要と重要なイデオロギー上の要因に刺激されて、それらの特質を凌駕していく。