2009年4月5日日曜日

趣味趣向(視覚芸術)

趣味趣向(視覚芸術) 「自然主義」対「理想主義」(229) 近代のルネサンス史家が好んで用いる「自然への回帰」と言う表現は、実際に当時の常套的な表現と一致している。例えば人文主義者バルトロメオ・ファツィオはヤン・ファン・エイクの肖像画を賞賛して「欠けていると思われるのは声ばかり」と述べ、「太陽の光は本物の陽光と見まがうばかり」と賞賛している。又彼はドナテッロの功績は「生き生きとした感情表現を生み出したこと」にあると述べている。別の人文主義者クリストフォロ・ランディーノは、ドナテッロの彫像は「大いなる生動感」を持っているためどれも動いているように見える、と述べている。絵画において追求されたもう一つの特質は三次元性或いは「立体感」である例えばフィレンツェの著述家ジャンバッティスタ・ジェッリはビザンティン美術は「立体感がまるで無い」ので、人物像は人間のようには見えず、壁に吊り下げられた服か「はがされた人間の皮」のように見える、と嘲笑している。偉大な説教者サヴォナローラが次のように言ったとき,彼は徴収の先入観を明確に代弁しているように見える。「絵画は自然(230)を忠実に写せば移すほど、いっそう大きな喜びを与える。そして絵をたたえる人々はこういうだろう―――ごらん、これらの動物はまるで生きているかのように見える。これらの花はまるで自然そのもののようだ」。 同じような自然主義的な見方はヴァザーリの『美術家列伝』にも見出される。たとえば、ブラマンティーノが厩に描いた馬が余りにも生き生きしていたので、或る馬は本物と見間違えてそれを蹴り上げたと言う。写実的に描かれたぶどうやカーテンを本物と見間違えたと言う有名なギリシアの伝説を敷衍したこのヴァザーリの話の重要性は、イリュージョニズム(錯覚的表現)が一つの勝利として述べられていることである。さらにヴァザーリがモナリザにおいて驚嘆しているのは、彼女の口が「描かれたと言うより生きている肉のように見える」事であり、彼女の眉が「ある箇所は密、或る箇所はまばら、と言う風に毛の生え際まで描き出し、これ以上は自然に見えることはありえない」と言う点である。同様に、彼がレオナルドの『最後の晩餐』において感銘を受けたのは「テーブル掛けの折り目が、本物でさえそれよりも本物らしくは見えないほど巧妙に写し取られていること」である。ヴァザーリがこれら特定の絵を他の特質よりも寧ろ自然主義を理由に賞賛している事は、今日ではいくらか素朴に思えるが、しかしここで強調しておく必要があるのは、彼が当時の共通の観念的前提を代弁していると言うことであろう。実際、レオナルドも同じ考えを持っており、「絵は描いている対象に近づけば近づくほど優れたものになる」と述べている。 (231)しかしながらあらゆる人がこの観念的前提を共有していたわけではなかった。「自然を模倣する」と言う文句は見かけ以上にあいまいであり、それを共有しているように見える著述家でも実際に言うことは違っていた。ルネサンスには二つの異なる自然の観念、つまり物理的世界としての自然(哲学者がnatura naturataと呼ぶもの)と創造力としての自然(natura naturans)が存在した。近代的意味での自然主義は、第一の自然の模倣の事を意味するが、何人かのルネサンスの著述家が主張したのは第二の自然の模倣である。アルベルティはその『絵画論』で、自然が完璧さに達することは稀であるから、画家はリアリズムsimilitudineより寧ろ、自然と同様、美を目指すべきだと述べている。このようにアルベルティは、実際には画家は見るものをそのまま描くべきではないと言いながら、その事を言うのに模倣と言う言葉を使っているのである。ミケランジェロはさらに強く自分の考えを表明した。彼がフランドル絵画を非難したのは、それが単に「外面的な目をあざむくために」えがかれているからであった。さらに彼は、ロレンツォ及びジュリアーノ・デ・メディチの墓碑を製作したとき、彼らを「自然が彼らを形作ったように」表さずに、彼独自の理想化された肖像を作り出した。
 「秩序」対「優美」 アルベルティは建築家に創造者た(232)る自然を模倣するよう勧めながら、その目的は「何一つ付加することも削除も改変もできないようなひとつの全体を作り出す、あらゆる部分のある種の合理的な調和concinnitasである、と説明している。 同様にギベルティは「比例的調和のみが美を作り出す」と書いている。芸術作品が「非礼調和proportionを持っている」ということは、それらを賞賛する好意的な言葉であった。このグループの別の用語として「秩序」ordineがある。さらに「均斉」simmetriaという用語もあるが、これは従来考えられていたように、建築のみに使われていたのではなく、絵画にも使われた。ランディーのは「均斉」は13世紀の画家チマブーエによって復活させられたと述べている。ほかによく使われた用語として「比例」misuraや「規則」regolaがある。建築のプロポーションと人体のプロポーション、視覚的調和と音楽的調和はよく類比された。こうした用語や類比が用いられた背後には、美は法則に従い、法則は放恣ではなく合理的であり、数学的である、という基本的態度があった。庭園でさえ秩序を持つものと考えられた。アルベルティは「樹木の配列は線上に等間隔に、また角度も対応するように並べられるべきである」と述べている。この時期のイタリア庭園についてはわずかしか知られていないが、それからはアルベルティが当時の慣習的見解を表明していることがわかる。たとえば、刈り込み式庭園は15世紀のイタリアにおいて復活したのである。サー・トーマス・ブラウンは『キュロスの庭園』でそれを「植物の優雅な配列」ordinationと呼んでいるが、こうした表現はルネサンスの価値観がいかに現代のそれと異なっているかをよく示している。 (233)しかし自然や芸術における秩序は、あらゆる人の趣味の基準であったわけではない。1480年代にナポリ出身の詩人ヤコポ・サンナザーロはその牧歌的ロマンス『アルカディア』で野性の美への好みを表明している。   :人里離れた山中の自然が作り出した高く茂った木々は、愛らしい庭園の中で育てられ巧妙な庭師の手で刈り込まれた植物よりも、見る人にいっそう大きな喜びを与えるのが常である。……緑為す草に囲まれた本物の岩から自然に湧き出す泉のほうが真っ白な大理石で人工的に作られ、ふんだんな金の装飾で輝く噴泉より、人の心にずっと大きな喜びをもたらすことを、誰が疑うだろうか。: 近代における風景画の隆盛の基礎にあるのはまさにこうした態度である。 1520年代には均斉美や芸術的規則への反発がいっそう一般的になった。ミケランジェロの理論と実践はこうした反動の最大の例であろう(ただしその逸話を誇張すべきではない)。ミケランジェロが語ったと伝えられる二つの有名な評言が、彼の態度をよく物語っている。それはデューラーの人体比例論を批判して言った言葉で、「棒杭のように突っ立った人物を描きながら確かな規則を打ち立てることはできない」「目がなければ、幾何学や数学の理論も、遠近法の法則も、人にとって何の役にも立たない」というものである。実際、ミケランジェロのメディチ家礼拝堂の彫刻は、「他の人々(234)が慣習とウィトルウィウスと古代に従って、比例と秩序と規則に基づいて作った作品」とはまったく異質な作品であるとヴァザーリは述べている。 これらの価値が拒絶された代わりに、いったいどんな価値が好まれたのだろうか。16世紀には公式や規則に還元できない美に対して「優美」graziaという言葉が好んで用いられた。フィレンツェ人アーニョロ・フィレンツォーラは、その『女性の美について』と題する愉快な対話の中で、この優美は単なる体型の問題ではなく「隠された比例と書物には書かれてない規則から生まれる」神秘的な何物かだ、と述べている。規則という言葉はここでは規則が存在しないことを主張するために用いられているのである。16世紀半ばのもう一人のフィレンツェ人ベネデット・ヴァルキは、「優美」を「美」belezzaに対置している。彼によれば「美」は物理的で、客観的で、比例に基づくものであるが「優美」は精神的で、主観的で、定義し得ないものである。しかし人はどうやって芸術の中に精神的なものを表現するのだろうか。「優美」という言葉は、16世紀に一般化するにつれて、「甘美」dolcezzaや「優雅」leggiadria「愛らしさ」venustaと似た意味で使われるようになる。とりわけラファエッロやパルミジャニーノの作品と関係付けられた。甘美な表情の十頭身の女性像が「神秘的なもの」によって作り出されるなどと結論付けるのは理不尽であろうが、われわれが現在「マニエリスム」と呼ぶ運動とかかわりを持つ美術家たちが、優美さに対してさえ公式を発見したと信じていたことはほとんど疑いない。
 「豊富さ」対「単純さ」(235) 豊かさの概念に……「多様性」varieta、「にぎやかさ」capiosita、「輝かしさ」splendore、「壮大」grandezzaなどが含まれる。頻繁に用いられた形容詞としては「華麗な」illustre「豪奢な」magnifico[壮麗な]pomposo「豪壮な」sontuoso「雄壮な」superboなどがあるがそれらの言葉を互いに区別するのは難しいし、おそらく無益であろう。人文主義者のレオナルド・ブルーニは、すでに見たように、フィレンツェ洗礼堂の第3門扉に対して助言を求められたとき、それが「華麗な」illustreものでなければならないこと、つまり「衣装の多様さによって目を堪能させるもの」でなければならないと考えた。実際に門扉をデザインしたギベルティも、自分は「豊麗さ」ricchezzaを意図したと述べている。アルベルティも「物語画」(istoriaは何らかの物語を表した絵のこと)における「もの寂しさ」solitudineに反対して、次のように述べている。―――「物語画の第一の喜びは描かれたもののにぎやかさと多様さから来る……私は、にぎやかさに満ちた物語画とは、大人の男、若者、少年、子供、年配の婦人、乙女、赤子、家畜、犬、鳥、馬、野生の動物、家屋、田園などが、所を得て交じり合っている絵のことだと言いたい。」 とりわけ建築に関する批評にはこの種の用語が頻繁に用いられている。たとえば、フィラレーテは(237)「威風堂々とした」dignissimoという言葉を少々過度なほど用いている。ヴァザーリは建築物の豪華さを強調する為に「きわめて栄誉にとんだ」onoratissimo「極めて豪奢な」sontuosissimo「極めて勇壮な」superbissimoといった最上級の形容詞を多用している。一方絵画に関しては、ヴァザーリは「偉大な様式」という言葉を、ミケランジェロのような彼が最も賞賛する作品に対してのみ用いている。 しかし一方、単純さにかかわる諸価値を賞賛する人々も存在した。たとえば、アルベルティは、「にぎやかさ」を賞賛する一方で、装飾を「二義的」な種類の美と呼んで嫌悪した。彼は「色彩の純粋さと単純さは、人生のそれと同様、神を喜ばせるに違いない」として、白壁の教会堂に対する好みを表明している。彼はまた、彫刻家は純白の大理石を好むだろうし、画家は金色よりも白色を使うべきだと述べている。彼が芸術作品を賞賛する用語のひとつは「慎ましさ」verecundiaであった。 アルベルティの単純さの擁護は友人のブルネレスキやマザッチョの作品に非常に良く当てはまる。ブルネレスキはサン・ロレンツォ聖堂やサンタ・クローチェ聖堂のパッツィ家礼拝堂のように、自分の建物の内部空間からフレスコ画を追放した。マザッチョの絵画は、「純朴で無装飾」と言う理由でランディーノによって賞賛された。 感情表現(238) 人文主義者バルトロメオ・ファツィオにとっては、感情表現は画家の最も重要な天分のひとつであった。彼はピサネッロは「感情を表現することに」優れていた、と書いている。たとえばピサネッロの『聖ヒエロニムス』は聖者の「顔つきの威厳」の表現ゆえに傑出していた。ファツィオは続けて、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの『キリストの磔刑』はそばにいる人たちの悲しみの表現ゆえに、また彼の『受難』はその「感情や情動の多様性」ゆえに注目に値する、と述べている。またアルベルティは画家に「見る人の魂を動かす」よう忠告している。彼は「これらの魂の動きは身体の動きによって分かる」―――つまり身体の動きは感情の表れである―――と述べ、感動が見る人に伝わり、見る人が「なくものとともに無き、笑うものとともに笑い、悲しむものとともに悲しむ」ように描くべきだと主張している。レオナルドは、画家は、怒りや恐れ、悲しみと言った情動を表現しなければならないと強調し、また自らの『最後の晩餐』の主題に関する手稿では、ヴァザーリを賛嘆させたテーブルかけについては触れずに「驚きの口つき」をする使徒と言った人物の身振りや感情の動きに言及している。公平を期すなら、ヴァザーリもまたこの絵の優れた感情表現に注意を払っており、次のように述べている。「レオナルドは、主を裏切ったのが誰かを知ろうとする使徒たちの悶々たる感情を創造し描き出すことに成功した。そのため彼らの顔には、愛、恐れ、怒(239)り、あるいはキリストの心が理解できない苦しみが見て取れる」。またヴァザーリはミケランジェロに対しても、彼の人物像は「彼だけが表現することが出来た思念や感情を表している」と賞賛している。
 巧妙さ(239) 当時良く用いられた用語の最後は巧妙さにかかわるもので、ファン・エイクの巧妙さartificiumに対するファツィオの称賛にその好例を見ることが出来る。アルベルティは美しい作品を創造するために目に見える世界から美的要素を選択するという画家の「努力」istudia, industriaを称賛している。作品はまたその難儀の誇示のために称賛されることもあった。たとえばヴァザーリはラファエッロの『マリアの結婚』を、寺院の遠近法的表現に於て「彼が探究した方法の困難さを見ることは驚きである」として称賛している。ある研究者は「後期ルネサンスの著述家が用いた全ての称賛の言葉のうちで、おそらく困難さdifficultaという言葉ほど重要で頻繁に登場するものは無いだろう」と主張している。表現の困難さが見事に克服されている場合は「巧妙」facilitaと呼ばれた。問題は、見る人が困難の克服と言う問題に気づかないために、芸術家が巧妙さを持っていないように思ってしまう可能性があることである。そこで若い画家には次のような忠告がなされた。「少なくとも一人は、ごくわざとらしく気取った、神秘的で、表現の難しいsforciata,misterioso e difficile人物を挿入すれば、芸術の完全さを理解する人に君が如何に巧妙であるかを示すことが出来るだろう。」この忠告がまじめに受け止められていたことは、当時良く使われた「凝った」peregrinoという言葉が「奇妙な」strano「優雅な」eleganteという意味を持っていたことからも分かる。さらに「奇抜な」bizzarroという言葉も否定的なものではなかったらしい。いずれにせよ、ヴァザーリは自分自身の作品にこの言葉を使っている。 「巧妙さ」や「困難さ」と言う言葉がますます頻繁に用いられるようになったことは、公衆が―――またおそらくは芸術家が―――様式をいっそう強く意識し、またそれに強い関心を持つようになったことを物語っている。否定的な意味を持つ用語についても同じようなことが言える。ヴァザーリやジェッリは、中世美術を語る際、「粗野な」grosso「無骨な」rozzo「拙劣な」goffoといった言葉をしきりに使っている。最後に重要なことは、「様式」manieraという言葉それ自体がますます多く使われるようになったことである。個人様式への関心の増大は、ロマン主義以降のわれわれの時代が創造性とか霊感、天才と呼び、当時の人々が創意invenzioneとか想像力fanasia、才知ingegnoといった微妙に異なる用語で表したものへの自覚をますます鋭いものにしていった。 要するに15-16世紀の絵画、彫刻、建築を称賛する語彙を分析すると―――作品それ自体を検討した場合と同様―――趣味が自然なものから創造的なものへ、単純で控えめなものから複雑で困難かつ壮麗なものへと変化していくのがわかるのである。
(ピーター・バーク著 森田義之・柴野均訳『イタリア・ルネサンスの文化と社会』、岩波書店・2000年)