2009年4月7日火曜日

Renaissance Platonism2 -Ficinos Theorie

 Ficino und Platon(199)フィチーノにおける「愛の学説」 フィチーノも同じく、その主要著作『プラトン神学』Theologia Platonicaやもろもろの書簡において、「能動的知性」の単一性学説と戦っている。この戦いにおいて彼もまた、われわれが自我と呼び思惟と呼んでいるものを、端的に個性的な形で我々に指し示すところの直接的な経験を引き合いに出して、これに依拠している。しかし、自我の本質と我々の直接的な意識に存在しているものとしての自我との間には、原理的な差異は存し得ない。「精神にとって己自身の認識よりも、より自然なものは何かあるか」quid enim menti naturalius, quam sui ipsius cognitio?。 このように「主観性」概念を理論的に基礎付け、かつ条件付けようと志す懸命なプロセスに対して、他のプロセスが対抗する。すなわち、このような精神的運動全体を最終的に決定し、支配するような本来の諸力を初めて、我々に明らかにしてくれるところのプロセスである。フィチーノの霊魂説と個体不滅説の基盤となったのは、人間の認識についての彼の基本的見解ではなくて、むしろ人間の意志Willenについての見解である。「愛の学説」はフィチーノの心理学の本来の要である。「愛の学説」がフィレンツェ・アカデミーの一切の哲学的努力の中心点となる。クリストフォロ・ランディーノの『カマルドゥール討論』Disputatione Camaldulensesが示しているように――「愛の学説」がアカデミーで行われる討論の永遠に尽きることのないテーマとなる。アカデミーが時代の精神生活全体に対して与えた影響、15世紀の文学や造形芸術に対して与えた影響は、全てこの中心点から出ているのである。同時に、ここには絶えざる相互作用が行われている。すなわちジローラモ・ベニヴィエーニがその詩『天上と神の愛の歌』Canzone dell’amor celeste e divinoにおいて、フィチーノの愛の理論の基本思想を詩という形式で表したが、これに対してピコ・デッラ・ミランドラはこのベニヴィエーニの詩の注釈を書いて、この思想を再び純粋に哲学的領域の中に引き戻したのである。 (200)ピコとフィチーノはこの際、できうる限り忠実にプラトンの「愛の学説」を再現することのみに意を注いでいるかのごとく思われる。両者とも、プラトンの饗宴の叙述に直接従っていて、フィチーノは特に饗宴の詳細な注釈をものしている。それにもかかわらず、フィレンツェ・アカデミーの「キリスト教的」プラトニズムの特異性と特色がもっとも明白に現れているのは、おそらくここをおいて他に求めることはできない。フィチーノはルカ・コントローニ宛に彼の饗宴=注釈と著作『キリスト教について』を送付するが、それに付した書簡の中で次のように述べている。「お約束の愛をあなたに送ります。さらに宗教をもお送りいたします。これによって、私の愛が宗教であり、宗教が愛であるのがお分かり頂けるでしょう」Mitto ad te amorem, quem promiseram. Mitto etiam religionem ut agnoscas et amorem meum religiosum esse et religionem amatoriam.。 事実、フィチーノの「愛の学説」は心理学と神学が出会い、互いに解きがたく融合しあう地点である。プラトンに於ても、愛は存在の中間地帯に属している。神的なものと人間的なもの、英知界と感覚界との中間にあって、愛はこれら両者を互いに関係付け、互いに結びつけるように定められている。愛がこのような結合を実現できるのは、もっぱら愛が両世界のどちらか一方に属さない限りにおいてのみ可能なのである。愛はそれ自体、充満でもなければ欠乏でもない。認識するものでもなければ、認識しないものでもない。不死のものでもなければ、死すべきものでもない。愛の「デモーニッシュ」な本質は、これら全ての対立物が混在しているという点にある。 このように、それ自体分裂した愛の性格が、プラトンの宇宙の、本来の動力因を構成する。ここに初めて、プラトンの宇宙の静的な構造の中に動的なモチーフが導入される。現象の世界と愛の世界は、最早単に相対立しているのではない。現象はそれ自体、イデアを「切望する」のである。この切望こそ、そこから全ての生成が導き出される根本の力である。すなわち、この内的な不満が永遠に活気を与える「不安」を生み(201)出し、この不安が全ての生起に一定の方向、イデアの普遍の存在への方向を決定づけるのである。しかし、プラトンの体系のうちにあっては、この方向は逆転しない。「存在へ生成する」ことはある。しかし、これに反して存在から生成へ、イデアから現象へという働きは存在しないのである。個々ではむしろ、分離Chorismosのモチーフがその一切の厳格さをもって保たれている。すなわち、善のイデアは、経験的=感覚的実在の働きの中に動力因として干渉するという意味に於てではなく、単にそれが生成の目的と目標を提示するという意味においてのみ生成の「原因」であるに過ぎない。 このような方法論的な関係は、やがて新プラトン主義の体系において、その形而上学的な解明と形而上学的実体化とを経験することになる。ここでもまた、第一原因に立ちかえろうとする衝動は、条件付けられ派生された全ての存在に特有のものとされている。しかし、この条件付けられたものの条件づけられない存在への切望は、後者の側からするいかなる反対切望によっても応えられていない。 また、新プラトン主義の超有Ueberseiendeや超越=一者は「生を越えて」存在する。絶対者の純粋客観性は、そのようなものとして主観的な意識の領域を越えた所に存する。この主観的な意識がたとえ実践的な意識として把握されようが、あるいは理論的な意識として把握されようが、この際、問題ではない。なぜなら、認識の決定は、切望のそれと同様、絶対者から遠ざけられていなければならないからである。全ての認識は他のものとの関係ということを前提している。しかし、絶対者の純粋な自足性、絶対者それ自体の完結性は、こうした他のものとの関係ということと矛盾するものであろう。
 「愛の学説」の宗教哲学的意義 フィチーノの愛の理論は、愛の過程を純粋に相互作用的な過程として捉える限り、このような思想圏から脱却しているといえる。人間の神に対する切望は愛のうちに表現されるが、これは神の人間に対する反対切望なしには可能とはならないであろう。ここでフィチーノにあって生き生きと脈打っているのは、キリスト教的神秘主義の基本思想であり、彼の新プラトン主義に新しい刻印を与えているのもこれである。絶対的な客観的存在である神は主観性と関わり合っており、相関概念として、必然的な対応概念として主観性と結合している。同じように、全ての主観性は神に関係づけられ、神に方向付けられている。愛はそれ自体、このような二重の形式による以外、他の形式では実現せられない。すなわち愛とは、より低いものの、より高いものに対する憧憬であるとともに、より高いものの、より低いものに対する、また知的なものの、感覚的なものに対する衝動である。紙は自由な愛の行為によって世界に心を寄せ、自由な恩寵の行為によって人間と世界を救済するが、これとまったく同じく、全ての精神的存在にとってもまたこのような切望の二重の方向は重要である。「全ての神的精神はより高いものを見ることによって、より低いものを眺め、これに心を配るのをやめることはない。これこそ神的精神全ての特質である。そして、之は我々の霊魂の特質でもある。我々の霊魂は自らの肉体のみでなく、全ての地上的事物の諸々の身体、大地そのものの諸々の身体を自らのうちに引き入れ、それらを養い、助長させるのである。」 感覚的なもののこのような育成、このような「耕作」Kulturのうちにこそ、精神的なるものそれ自体の基本動機、基本課題が存する。「愛の学説」のこのような把握は、同じく新プラトン主義がこれと絶えず格闘してきたところの神義論Theodizeeの問題を、新しい光の中に移すことになる。ここに至って、神義論は初めて厳密な意味で可能となる。なぜなら、ここでは最早質料は形式の単なる対立物として、したがって単なる「悪」としては捉えられ(203)ていない。質料は形式の一切の活動がこれによって始まり、ここにおいてそれ自身を実現していかねばならない、当のものとして考えられる。愛は本来の意味で「世界の紐帯」となったのである。なぜなら、愛は世界のさまざまな元素や領域の一切の不同性を、そのいずれをも自らの領域の中に受け入れることによって克服するからである。さまざまの存在要素を同一の動的な機能の主体として、中心点として認めさせることによって、愛はそれらの実態的な差異を調停し止揚するからである。 愛とは、精神が之によって感覚的=肉体的なものに下っていくものであり、またそれをこの領域から再び上昇させるものでもある。しかし、この双方の運動にあって、精神が従うのは決して外からの刺激ではなく、即ち、宿命的な強制ではなく、それ自身の自由な決意なのである。「霊魂は決して他のものによって駆り立てられない。愛によって自らを肉体に沈め、愛によって肉体から飛び出る。」Animus nunquam cogitur aliunde, sed amore se mergit in corpus, amore se mergit e corpore。ここに示されているのは、外的ないかなる目的をも必要としない精神の循環circuitus spiritualisである。なぜなら、循環はその目的と限界をそれ自身のうちに有し、また運動の原理も休止の原理もともにそれ自身のうちに見出すからである。
 「愛の学説」の認識論および美学に対する影響(203) ルネサンス哲学は、こうしたフィチーノの思弁的な愛の学説の基本思想を受け入れ、それを自然哲学と倫理学のために、また芸術理論と認識論のために、実り豊かなものにしようと努力したのである。認識論について言えば、中世の新プラトン的=神秘的文献はすでに認識と愛とを相互に分かちがたく結び付けていた。なぜなら、精神は純粋に理論的な考察においては、愛の行為によって対象に追いやられない限り、いかなる対象にも向かうことはできないから(204)である。このような基本的な考え方は、ルネサンス哲学において新たに取り上げられ、パトリッツィの学説において体系的に展開されることになる。認識行為と愛の行為は同一の目的を有している。なぜなら、これら二つの行為は存在要素の乖離を止揚し、それら本来の統一の地点にまで回帰しようと志しているからである。 認識とは、このような回帰の途上における一定の段階以外の何者でもない。認識はそれ自体、切望の一形式である。なぜなら、その対象に対する志向intensio cognoscentis in cognoscibileは全ての認識にとって本質的なものだからである。最高の知性は愛によって駆り立てられ、自らを二つに分裂させ、かくして自らを認識対象の世界に、その考察の対象として対置させることによってのみ、初めて知性に、すなわち、思惟する意識になるのである。認識行為はこのような分裂を惹起し、本来の単一性を多様性に引き渡していくが、しかしこうした事態を再び克服するのもほかならぬ認識行為である。なぜなら、ある対象を認識するとは、対象と意識との間にある距離を否定し、ある意味で対象とひとつになることに他ならないからである。「認識とは、認識しうるものとのある種の合体以外の何者でもない」cognitio nihil est aliud, quam Coitio quaedam cum suo cognobiliのである。 しかしながら、フィチーノが新たな装いの元で復活させた「愛の学説」は、認識論に対してよりも、芸術の本質および意味についてのルネサンス期の考え方の方にはるかに強烈に、はるかに深く影響を及ぼしたといえる。ルネサンス期の多くの偉大な芸術家は、フィレンツェ・アカデミーの思弁的な基本学説を熱狂的に受け入れたが、このような彼らの熱狂は、彼らにとってフィレンツェ・アカデミーの基本学説が単なる思弁以上のものを意味していたということによって初めて説明される。ここで彼らが目前に見たものは、自分たちの基本的な見方を迎え入れている宇宙論のみではない。ここで彼らの見たものは、なかんずく、彼ら自身の創造の秘密が解明され、表明されていることであった。芸術家の謎めかしい二重性格、すなわち、感覚的な現象世界への献身と、それを乗り越え克服せんとする持続的な努(205)力がいまや理解され、この理解において初めて真に正当化されたかのように思われたのである。 フィチーノが「愛の学説」において与えたところの世界の神義論(弁神論)が、同時に、芸術本来の神義論となったのである。なぜなら、芸術家は常に分離されているもの、対立しているものを相互に結合せねばならず、「目に見えるもの」の中に「見えないもの」、「感覚的なもの」の中に「英知的なもの」を探求するが、他ならぬこのことが芸術家のやり方であって、愛のやり方もこれと同じといえるからである。芸術家の直感と形象は純粋形式への注視によって決定されるとしても、他方、彼が真にこの形式を所有するのは、この純粋形式を質料において実現するのに成功したときに初めて可能となる。他の誰にもまして、芸術家はこのような存在要素の緊張、存在要素のこのような両極的な対立を深く感じている。しかし同時に、彼はその調停者としても自覚しているのである。ここに全ての美学的調和の核心が存している。しかし同時に、一切の調和、一切の美しさが質料を通して以外、自らを示すことができない限り、それらに付着している永遠に満たされざるものも、ここに存しているのである。 このような形態における、またこのように深化したかたちでのフィチーノの愛の学説に、我々はミケランジェロのソネットの中で出会う。フィチーノのこのような影響は、認識論においてはパトリッツィによって、倫理学においてはジョルダーノ・ブルーノによってさらに展開されるが、これとそれを比較してみて、初めて我々はこの学説の持つ異常な豊かさが何に起因しているのかを完全に理解できるのである。フィレンツェ学派の新プラトニズムも同じように、イデアを諸力として、すなわち、客観的=宇宙的な潜勢力として捉えていた。しかし、それとともに「愛の学説」において新しい精神的な自我意識の概念を発見している。この自我意識はいまや、その単一性と多様性において登場する。即ち、その内在的な閉鎖性と一様性において、同時にまた、認識、意欲、美的創造といった基本的な活動における、その個別化Besonderungにおいて登場する。「主観的な精神」である自我はさまざまな活動の方向に分(206)かれるが、このようなさまざまな活動の方向から、文化の多様性、即ち「客観的精神」の体系が出現してくる。 ジョルダーノ・ブルーノもまた、プロティノスに関連して、愛を引き合いに出し、これが我々に主観性の王国を初めて、真に開いてくれるもの、と言っている。我々の眼がいまだ知覚された対象の単なる観照に専心している限り、美の現象は愛の現象と同様、成立することができない。美と愛が初めて現れ出るのは、精神が形象の外面的な形式から退き、自らをそれ自身の、分離し得ない、かつ一切の可視的なものから遠ざけられた形で把握する時なのである(206)。
(エルンスト.カッシーラー著 末吉孝州訳『ルネサンス哲学における個と宇宙』太陽出版・1999年)