2009年4月7日火曜日

De Magie

De Magie ルネサンスの呪力魔術 ――フィレンツェ・プラトン主義を中心に 伊藤博明(67)
1. フィレンツェ・プラトン主義と魔術 ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ(Giovanni Pico della Mirandola, 1463-1494)は、1486年12月ローマで、『900の論題』(Conclusiones DCCCC)を出版した。彼の目的は、これらの論題を元にローまで哲学的=宗教的討論会を開催することであり、『900の論題』はただちにイタリアの諸機関に送付された。しかし、ピコの提示した論題の中に「異端」的なものが含まれていると言う非難が高まり、教皇インノケンティウス8世は、1487年2月20日付けの勅書Cum ex iniuncto nobisを発布し、『900の論題』を検討する委員会を召集した。この委員会の結論は、7つの論題を厳しく断罪し、さらに6つの論題を叱責するものであった。そして前者のうちの一つには次の論題が含まれていた。   魔術とカバラほどキリストの神性について我々に確証を与える学知は存在しない。 委員会によって「偽りの、誤謬に満ちた、迷信的で、異端的な」ものと結論されたこの論題は、ピコの思想の中でも特徴的な側面を示していると考えられる。ピコはすでに、討論会の序となるべき『演説』Oratio――後に『人間の尊厳についての演説』Oratio de hominis dignitateと呼ばれることになる――の中で、魔術とカバラについて多くのページを割いて説明を加えていた。おそらくピコ自身、魔術とカバラを論じることが疑念の目を持って受け取られることを予期していたであろうし、また実際に批判の声を耳にしていたであろう。 ピコは『演説』において、魔術magiaと呼ばれるものを二つに区別している。一方は悪霊daemonesの業と権威に基づく、呪われるべき奇怪なもの(68)であり、他方は、正しく探求される限りにおいて「自然哲学の絶対的完成」である。ピコが擁護するのは勿論後者の意味の魔術であって『900の論題』においても、それを「自然学の実践的部門」、あるいは「自然学のもっとも高貴な部分」と呼び、端的に「自然魔術」magia nauralisと表現している。ピコによれば、この魔術をギリシア人は妖術たる「ゴエーテイア」goeteiaと区別して「マゲイア」mageia、すなわち「マグスたちの完全で最高の知恵」と呼んでいる。それは、神の恵みによって散布され、この世界に種まかれた諸力の中からある力を呼び出して、「驚嘆すべきこと」を行うよりもむしろ、これを行う自然に仕えるのである。   この術は、ギリシア人がより的確に「シュンパテイア」sympatheiaと言っている「宇宙の共感」をその内部に分け入って探求し、諸々の自然の相互認識を洞察して所有し、各々の事物に備わっている生来の固有の呪力illecebrae、即ち「マグスたちのイユンクス」と呼ばれている呪力を用いて、世界の奥深くに、自然の懐深くに、つまり神の秘密の蔵に隠れている諸々の奇跡を、あたかも自らが工匠であるかのように公衆の前に示します。 シュンパテイア(共感)の理論はストア派によって明示的に提出されたものである。それによれば、人間の身体全体に霊魂が浸透しているように、ロゴスとしての神が宇宙全体に遍在しており、その結果、宇宙は統一的有機体と理解され、その中に諸事物を相互に結び付ける「共感」が存在するとされた。ピコの述べる自然魔術とは、この共感を利用するものであった。 マルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino, 1433-1499)も、『プラトンの饗宴注解 ――愛について』Commentarium in Covivium Platonis de amoreにおいて、この「共感」的力に言及し、「この宇宙の諸部分、即ち一つの動物の諸機関は、全て一人の製作者に依存しており、一つの本性の共有によって相互に結合されている」と述べている。そして彼は、魔術の働きとは、「本性の類似に基づいて、ある事物をある事物によって引き寄せることである」と定義している。さらにフィチーノは、医術的=占星術的著作『生について』De vitaの批判に(69)対する『弁明』Apologiaにおいて、ピコと同様に二つの魔術を区別している。彼によれば、我々の身体に精神の影響をもたらす魔術は、悪霊の業ではなく自然の業である。それは、悪霊の礼拝に基づく穢れた魔術ではなく、天上の物体から、自然的事物を介して、我々に健康をもたらす効力を引き出す「自然魔術」なのである。 上述したことから、ピコとフィチーノが「自然魔術」に関して、一定の共通理解を有していたことが察せられる。無論、カバラに対するピコの特別の関心、占星術をめぐる両者の態度の相違など、検討されるべき点は種々あり、両者における魔術(および占星術)については研究されるべきことが多く残されている。(69)
 ルネサンスにおける「魔術師」ゾロアスター(73) 「カルデア人の神学」は、ルネサンス期に再び脚光を浴びることになる。その先鞭をつけたのは、ギリシア出身の哲学者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン(Georgius Gemistus Plethon, c,1355-1452)であった。彼は、全60行からなる託宣集を編纂し、これらの託宣について注解を試みている。プレトンにおいて特徴的な点は、『カルデア人の託宣』が古代の知者ゾロアスターと結び付けられたことである。ゾロアスターは古代の著作家達によって、最初の知者、魔術の創始者、占星術の確立者、神学者、哲学者などとさまざまに語られている。アッシリア人、ペルシア人、メディア人、あるいはカルデア人といわれ、プラトンよりも6千年前に生き、200万行とか1000万語とも言われている膨大な作品を著したと伝えられている。プレトンにとっても彼は、アジアにおける「神的な事柄の解釈者たちの中で最古の人物」であり、エジプト人メノスを例外として、「全ての哲学者と立法化の中で最古の人物」であった。プレトンは、このゾロアスターから始まりプラトンにおいて完成する、古代の神学的=哲学的伝統に基づいた新しい普遍的宗教の創出を目論んだ。このプレトンの特異な思想的態度は、後にフィチーノやピコにおいて展開する、いわゆる「古代神学」を基礎とするシンクレティズムのさきがけとなるものである。 プレトンは、ゾロアスターとプラトンの間にピュタゴラスを挿入し、これら3人の教説が協和していると述べている。   プラトンの哲学は彼独自のものではなく、ピュタゴラス主義者を介して、ゾロアスターから引き出されたものである。というのは、主にプルタルコスによって示されている伝承に従えば、ピュタゴラスは、アジアにおいて、ゾロアスターの帰依者であるマグスたちの下で、ゾロアスター主義を学んだからである。……プラトンがゾロアスター主義の徒であったことは、我々が所(74)有しているゾロアスターの託宣によって明らかである。というのは、この託宣はプラトンの体系と詳細な点まで合致しているからである。 「我々が所有しているゾロアスターの託宣」とは、プレトンにとって『カルデア人の託宣』に他ならなかった。『カルデア人の託宣』は、ゾロアスターによって明かにされた最古の知恵を含んだ作品であり、それはプラトン哲学の源泉であった。プレトンが『カルデア人の託宣』に付与したこのような思想的地位が、ルネサンス期における託宣の受容に多大な影響を及ぼしたと考えられる。プレトン自身は、託宣の解釈においてプセロスに多くを負っているが、また彼固有の議論も行っている。(中略) プレトンの後を受けてフィチーノは、ゾロアスターを「古代の神学者」prisci theologyの一人に挙げている。彼が主著『プラトン神学――霊魂の不滅について』Theologia platonica de immortalitate animorumで語っているところによれば、古代の神学者は、常に哲学の探求と宗教的敬虔を結び付けていた。   まず第一に、ゾロアスターの哲学は、――プラトンが確証しているように――、知恵ある敬虔と神的な崇敬以外のものではなかった。また、メルクリスウス・トリスメギストスは、全ての議論を祈願によって始め、供儀によって終えた。オルペウスとアグラオペーモスの哲学は全て、神の賛美に向けられている。ピュタゴラスは、毎朝、聖なる賛歌の詠唱によって哲学的探求を開始した。プラトンは、談論だけではなくまた熟考においても、各々の事柄において神から始めるよう勧めており、また自分自身、神から始めるのであった。(76)プレトンがイスラム教やキリスト教に代わる新たな普遍的宗教を目論んだのに対して、フィチーノは、プラトンにおいて完成を見る「古代神学」とキリスト教神学との統一を企てた。この統一は、ヘブライ人の予言と啓示に基づいた「古代神学」全てがプラトン哲学に流れ込み、新プラトン主義者(ヌメニオス、フィロン、プロティノス、ヤンブリコス、プロクロス)はヨハネ、パウロ、ヒエロテオス、ディオニュシオス・アレオパギテースを介してキリストの教えを受け取った、というフィチーノ固有の歴史的パースペクティブに基づいたものだった。そして、ゾロアスターは「古代神学の創立者」、あるいは「そこから古代の神学者の知恵が流れ出た人物」として、「古代神学」において第一の地位を得たのである。フィチーノはゾロアスターが『カルデア人の託宣』の著者であることを疑わず、彼の名によって託宣を自作中に多数引用している。 ピコにとってゾロアスターを含む「古代神学」の伝統は、いわば彼の思索の前提であった。そしてピコは、アリストテレス的伝統やカバラなどのヘブライの伝統を包含した、より広範囲に及ぶ神学的=哲学的総合に着手したのである。ピコは『演説』において、「ゾロアスターの詩句」について次のように語っている。   ゾロアスターは彼ら(ギリシア人)の間では欠落のある形で読まれ、カルデア人の間ではより完全な形で読まれています。両者(オルペウスとゾロアスター)は、「古代の知恵prisca sapientiaの父であり創始者であると信じられています。即ち、プラトン主義者たちにおいて、常に最高の尊敬を持って屡々言及されているゾロアスターについては私は沈黙するとしても…… ピコにおいて注目されるのは、このゾロアスターの「知恵」の内容である。上述したように、ディオゲネス・ラエルティオスは、ペルシアのマゴスたちの間で哲学の探求が起こったと述べていた。マグスたちとは、ペルシア人の間において宗教的儀式に携わった学識ある階級と伝えられており、ピコの表現を用いるならば「ペルシア人たちの『マグス』という言葉は、我々の間の『神的なものどもの解釈者にして司祭』と同じ響きを持っている」のである。そしてゾロアスターは、一般にこのマグスたちの長と考えられてきた。(77)プレトンは「ゾロアスターに従ったマグスたち」と述べ、フィチーノもゾロアスターを「マグスたちの首位に立つもの」と呼んでいる。マグスたちの術が「マギア」magia即ち「魔術」であるので、したがってゾロアスターの「知恵」は主にこの「魔術」を意味することになり、ゾロアスターは魔術の創始者とみなされるのである。ピコは実際、プラトンの著作を引用しながら、クサルモシデスとゾロアスターを魔術の権威者として言及している。(77) ピコとフィチーノにおける呪力魔術(79)フィチーノによれば、世界霊魂は、その神的な力によって、神的な精神に存在するイデアとまさに同じ数の、諸事物の種子的理性を所有している。これらの種子的理性によって、世界霊魂は、物質の中に同数の種を形成するのである。逆から言えば、物質的形相は、世界霊魂の種子的理性を媒介にして自らの神的イデアと結びついている。フィチーノは、この物質的形相を世界霊魂の種子的理性と結合させる原理にして力のことを「神的吸引力」もしくは「魔術的呪力」と呼んでいるのである。ここでフィチーノは、宇宙のヒエラルキア性を前提としながら、その宇宙が統一的有機体を形成するための内的力を「魔術的呪力」に求めているように思われる。フィチーノは、ピコがイユンクスについて、「各々の事物に備わった生来の固有の呪力」と規定したことを受けて、彼自身の仕方でイユンクスの働きを明確化したといえよう。そして、この「魔術的呪力」を用いて天上から利益をもたらす人物が哲学者=マグスと呼ばれるのである。   自然的事物や星辰に精通している哲学者――我々は正しくもマグスと呼ぶのが常なのだが――は、医者と同様なことをなす。即ち彼は適切な機会に、天上的なものを地上的なものへと、ある呪力illecebraeによって導きいれるのである。 この呪力を用いた業は――繰り返して述べるならば――悪霊の礼拝に基づく穢れた魔術ではなく、天上の物体から、自然的事物を介して、我々に健康をもたらす効力を引き出す自然魔術である。それがフィチーノにとっての占星術の真の意味であった。マグスは、霊を召還してそれを利用する降神術とは無縁である。彼は、逆に天上的なものを地上的なものに従わせることによって自らの業を果たす。ピコの言葉を引用すれば「マグスは大地と天を、即ち下位のものを上位のものの賜物や力とを結ばせる」のである。(80)
(佐藤三夫編『ルネサンスの知の饗宴 ――ヒューマニズムとプラトン主義』、東信堂・1994年)