2009年4月7日火曜日

De Astrologia 1 

De Astrologia 1 (148)中世及びルネサンスにおける占星術 以上の考察において、我々は、ルネサンスの宗教的思想世界の内部において、自由の問題が次第に形を変えていき、自由の原理が愈々強力に前面に躍り出ていく経過を明らかにしてきた。このような自由の原理の進出に対しては、神学的教義は一歩一歩その根拠を奪われていかねばならなかったのである。しかし、その過程は余程困難なものであった。それというのも、他ならぬこの神学的教義の創始者は、ルネサンス哲学にとっても依然として古典的な著述家、哲学的・宗教的な権威として重んぜられていたからである。アウグスティヌスに対するこのような崇拝において、その先鞭をつけたのはペトラルカである――すなわち、ペトラルカは一群の古代の偉大な先達の中からアウグスティヌスを特に取上げ、「数千の古代作家の中で最も親愛なる者」unter Tausenden Teuerstenというのである。フィレンツェ・アカデミーもこれを受け継ぎ、アウグスティヌスの裏に、いたるところ「キリスト教的プラトン主義者christlichen Platonikersの真の模範を見る事になる。 このような歴史的関係をはっきり思い浮かべる事によって、初めて我々は、ここで克服されねばならなかった抵抗の大きさを完全に計る事が出来るのである。しかも、このような抵抗を除去したとしても、尚、それのみでは自由思想の勝利を決定づけるに十分ではなかったはずである。なぜなら、このような抵抗の除去がなされる以前に、その他の、ルネサンスの精神生活と無数の糸によって結び付けられている力との戦いが為されねばならなかったからである。 ライプニッツはその弁神論において、運命Fatumの三重の形式を区別している。即ち、「キリスト教的運命」Fatum Christianumに対して、「マホメット的運命」Fatum Mahumetanumと「ストア的運命」Fatum Stoicumを対置している。ところで、ライプニッツのこのような概念にはっきり刻印されているがごとき三重の基本的な思想傾向は、すべて、ルネサンスにおいては尚依然として完全に生きた力である。ルネサンスにおいては、キリスト教的思想世界に劣らず、異教的なアラビア的起源によって養われた占星術的思想世界も強力に作用している。キリスト教的=中世的伝統Traditionや、キリスト教的=中世的教養Dogmatikに対抗する為には、古代Antikeを召還する事が出来たが、しかし占星術的思想世界と言う、この新しい敵手に対しては、当初、古代は無力そのものであった。むしろ、古代は占星術的思想世界を強化するかの如くさえ思われたのである。なぜなら、ギリシャ哲学の「古典期」Klassischen Epocheへの道は、当初、ルネサンスには閉ざされていたのである。ルネサンス(150)期においては、ギリシャ哲学は一般に、ヘレニズム風のヴェールと衣装を通したもののみしか与えられなかったからである。即ち、プラトンの学説は新プラトン主義の媒介を通してのみ眺められるのである。 かくして、ルネサンスにおいては、古代の概念世界の復活が、同時に、古代の神話的世界をも直接身近なものたらしめることになる。ジョルダーノ・ブルーノに至っても依然として、このような神話的世界は、最終的に消滅してしまう事無く、いたるところ彼の哲学思想そのものに決定的な仕方で関与しているのを、我々は知るのである。しかも、こうした世界の影響は、自我と世界、個と宇宙との和解を、概念的な思惟によってではなく、芸術的な感情或いは情緒によって求めていくような場合、はるかに強力に、はるかに深く及んだはずである。ルネサンスにおけるこうした力の登場が愈々独立的になり、その影響もいっそう無拘束になっていくにつれ、それだけ従来、中世が占星術体系に対置させてきたところの抵抗は崩れていくのである。 他方、キリスト教的中世もまたこうした体系を欠いては存立しえぬものであり、したがって、完全にこれを克服し得なかったのである。キリスト教的中世は一般に、古代的=異教的な基本観念を許容し継続させたが、それと同様に、他ならぬこの占星術体系も受け容れるのである。古い神々の形象は生き残って、しかも悪魔や卑しい悪霊に転落させられる。しかし、人間の悪霊恐怖と言う原始的感情がどれほど強かろうと、今やこれは唯一神の全能に対する信仰によって鎮められ、抑制される事になる。唯一神の意志に対しては、対立する全ての力は屈服せねばならないのである。したがって、中世の「知識」Wissen、特に中世の医学や自然科学が、占星術的な要素と徹頭徹尾、混在していようとも、これに対しては中世の信仰が恒常的な矯正力として働くのである。中性の進行は占星術的要素を否認したり除去したりはしない。しかし、神的摂理の力に従属させるのである。こうした従属によって、占星術は世俗知識の原理として無傷のまま存続しえたのである。 (151)ダンテでさえも、こうした意味で占星術を理解している。事実ダンテは『饗宴』Convivioにおいて、完全な知識体系を展開したが、その一つ一つが占星術体系に相応しているのである。三学Trivium、四科Quadriviumの七自由学科は、七つの惑星球に順序正しく配列される。即ち、文法は月に、論理学は水星に、修辞学は金星に、算術は太陽に、音楽は火星に、幾何学は木星に、天文学は土星に相応するのである。ついで、本来の形式における人文主義に関して言えば、これも占星術に対しては依然として、異なった態度を示してはいない。ペトラルカはここでは依然として尚、キリスト教的見解に完全に従っている。すなわち、占星術に対するペトラルカの態度は、この点に関するアウグスティヌスの議論をそのまま援用しており、したがってアウグスティヌスの態度と異なったものではない。サルターティは青年時代に占星術的運命に対する信仰に傾斜した事はあるが、後年の著作『運命とフォルトゥナについて』De fato et fortunaの中で、こうした誘惑を克服し、占星術への信仰をはっきり排撃したのである。星には独立した如何なる力も無い、星は単に神の手にある道具と見なされ得るのみである、と言うのである。 しかしながら、時代が進むにつれ、我々が益々強く感じる点がある。それは世俗的な精神や世俗的な教養が前面に躍り出てくれば来るほど、他ならぬこの事事態が占星術の基本的教説への傾斜を強化していくと言う点である。他の点ではきわめて威厳のある、平衡の取れたフィチーノの生涯の中に、不安と絶えざる内的緊張のモメントが入り込んでくるのも、占星術との分裂した精神的=倫理的な関係によるのである。フィチーノもまた、キリスト教的=教会的な基本見解に服従しており、天球は人間の肉体を支配する力は持っているが、人間の精神と意志に対しては如何なる強制力も行使し得ないことを強調する。ここからして、フィチーノは占星術を駆使して未来を解明しようとする試みに対して戦うのである。「物事をそれ自体注意深く考察すれば、我々の相手にしているのは予言その(152)ものではなく、予言を擁護する愚か者である」si diligentius rem ipsam consideramus, non tam fatis ipsis, quam fatuis fatorum assertoribus agimur。それにもかかわらず、このような苦闘を通して勝ち得た理論的な革新も、フィチーノの生活感情の革新を変える事が出来なかったことは紛れもない事実である。フィチーノの生活感情は依然として星の力、特にフィチーノ自身のホロスコープの上昇点に現れた不吉な星、即ち、土星の力に対する信仰によって支配されているのである。 賢者は己の星の力から逃れようとはしない。せいぜい出来ることといえば、星から来る影響のうち、恵みのあるものはこれを自らのうちで強化し、外のあるものは可能な限り逸らせ、こうすることによって星の力を良い方向に導いていく一事だけである。生をそれぞれその規定された範囲の中でinnerhalb統一させ完成させるこうした能力に基づいて、生はその形式を与えられるのである。我々の最高の努力もまた、こうした限界を飛び越える事は出来ないし、越えてはならない、というのである。フィチーノはその著『三重の生について』De triplici vitaの第三巻に「天界に規定された生について」De vita coelitus comparandaという名称を与えているが、ここで彼は、星の力によって規定される生形成の完全にして極めて精緻な体系を展開したのである。ルネサンスの新しい生活感情、人間性というルネサンス概念と理想は、これに敵対する二つの異なった基本的な力Grundmaechteと対決せねばならなかったが、この事実を我々は、フィチーノのこのような例からきわめて明らかに知る事が出来るのである。
 近代的自然概念の成立に対する占星術の意義 自我の解放のあらゆる試みに対して、二重の性質と、刻印を帯びた一つの必然性が立ちはだかる。一方において(153)恩寵の王国regnum gratiaeが他方において自然の王国regnum naturaeが、自我に対して承認と服従を要求するのである。第一の要求が抑えられること愈々はなはだしくなれば、それだけ力強く第二の要求が強まり、これのみが正当なものと言明する事になる。いまや超越的な束縛に対して内在的なそれが、宗教的・神学的な束縛に対して自然主義的なそれが対置されるのである。このような内在的・自然主義的束縛を克服し、これに打ち勝つのは一層困難なことであった。なぜならば、ルネサンスの自然概念Naturbegriffは究極的にはルネサンスの精神概念、その人間概念が生まれてきたのと同一の精神的諸力から自らを養ってきたからである。したがって、ここで要求されたのは、いわばこれらの諸力が己自身に対して立ち向かい、己自身に対してその限界を置くこと以外の何者でもなかったのである。 スコラ哲学と中世的教義学に対する闘争が外に向けられているとすれば、いまやうちに向けての戦いが始まるのである。この戦いが以下に困難で頑固なものとならざるを得なかったのかを、我々は理解できる。事実、15世紀に成立し、16世紀から、実に17世紀初頭に至るまで生き続けたルネサンス自然哲学は、全て因果性についての魔術的=占星術的な基本見解と密接に絡み合っているのである。自然を「その固有の原理Prinzipienに従って」juxta propria principia理解する事、これは自然を、自然そのものの中に存在している生得の諸力Kraeftenから説明する以外の何ものをも意味するものではないと思われたのである。しかしながら、これらの諸力がより明らかに現れるのは、どこにおいてであろうか。これらがより捉え易く、かつ、より一般的な形で示されるのは、どこにおいてであろうか。それは天球の運動の中をおいて他にないのではなかろうか。宇宙の内在的な法則、特殊な生起一切に対する包括的な普遍法則を何処かで読み取る事が出来るとするならば、他ならぬここ、天球の運動の中でなければならないのである。(154)したがって、ルネサンス期においては占星術と魔術は「近代の」自然概念と少しも対立するものではなく、寧ろ両者とも近代の自然概念を担った最も強力な車となるのである。占星術と新しい経験的な自然の「科学」とは、互いに人的にも物的にも同盟を結ぶ事になる。こうした同盟が生そのものに対して、すなわち、生の理論的な把握に対しても、その実践的形成に対しても影響を及ぼしたその力を完全に測定する為には、こうした同盟を個々の思想家自体の形象において明らかにせねばならない。たとえば、カルダーノのような人物の自叙伝に見られるような形式において、それを考察せねばならない。このような絆を解消したのは、やっとコペルニクスとガリレイに至ってである。しかもその際の解消も、単なる「思考」に対する「経験」の勝利、思弁に対する計算と測定の勝利を示すものではなかった。これが成功する為には、寧ろ前もって思考方式そのものDenkart selbstの転換がなされねばならなかった。すなわち、自然把握の新しい論理学が形成されねばならなかったのである。 ルネサンス哲学内部の偉大な体系的関連を認識するためには、何よりもまず、こうした論理学の成立を追跡する事が重要である。なぜなら、ここで決定的で本質的な事は、結果そのものではなく、そのような結果に至った道程だからである。しかも、この道程を辿る事によって、我々は、或いは錯綜した空想的な迷信の真っ只中に迷い込んでしまうかもしれない。何しろ、ブルーノやカンパネッラのような思想家にあってさえ、依然として神話と科学、「魔術」と「哲学」との境界ははっきり区別されてはいないのであるから――それにも関わらず我々は、この道程において二つの領域の間の「対決」Auseinandersetzungがはじめて、ゆっくりと絶え間なく行われていった、あの精神的なプロセスの力学を、それだけに尚一層深く覗き見る事が出来るのである。 こうしたプロセスの普遍性を持って当然ながら我々は、ここには思想の時間的な連続が同時にその体系的な連続を示し表しているものと理解してはならない。直線を描いて一定の目標に達するような持続的な時間的「進歩」(155)は、どこにおいても問題にならない。古いものと新しいものは長期間にわたって互に並行して進むだけでなく、両者は互に絶えず入り混じるものでもある。したがって、ここで「発展」Entwicklungについて云々するにしても、せいぜい次のような意味でしかない。即ち、ここの思想モチーフはまさにこうした流動的な、あちらへ行ったりこちらに来たりHin und Herを互に繰り返しながら、次第により鋭く分離され、ついに一定の典型的なtypischen形体として出現すると言う意味での「発展」に過ぎない。思想の内在的な進展は、こうした典型的な形態を取るに至った事において明らかとなるが、その形態の時間的=経験的な経過と一致する必要は全く無いのである。 占星術的世界像が克服されていく中で、なかんずく、我々は二つの異なった段階を区別する事が出来る。第一段階の特質は占星術的世界像の内容Inhaltを否定する事にあり、第二段階のそれはこの内容を新しい形式で表し、それとともにこれに新しい方法論的基礎を与えようとする試みにある。この後者の試みは、その自然観察のやり方において特徴的である。すなわち、その自然観察とは、現象そのものから直接由来するようなものではなく、現象をアリストテレス的=スコラ学的自然概念を媒介として考察し、これをこのような概念体系に適合させようとするものである。ここに成立するのは特殊な混合形態、すなわち、一種のスコラ学的占星術と占星術的スコラ学といったもので、これは若干の中世的な諸体系、なかんずく、アヴェロエス主義にその原型が見出されるのである。(ポンポナッツィによる占星術 155-165)
 (166)小宇宙=モチーフ  しかし、これらと並行して、これら両極の対立を調停し、和解させようと言う努力にも事欠かないのである。こうした調停は、我々がルネサンス哲学の基本モチーフ、即ち「小宇宙」Mikrokosmosモチーフに再び立ち帰りさえすれば、ただちに可能となるように思われよう。なぜなら、この「小宇宙」モチーフこそ、そもそもの初めから、ルネサンスの自然概念と「人間性」概念とが出会い、互に規定し合う中間領域だからである。これに寄れば、人間は自然の象徴として、自然の肖像として自然から区別untershiedenされているが、同じように、自然に関連付けられbezogenてもいる。人間は自然を自らのうちに抱擁しているが、他方、自然の中に同化されてしまう事は無い。人間は自然の有する一切の力を有しているが、それにもかかわらずこれに加えて、特に=新しい意識Bewusstheitの力を有しているのである。これによって再び、占星術的思想世界の中には新しいモチーフが進入してくる事になり、次第に内部からこれを改造していく事になる。占星術的世界観は古くから小宇宙=思想と結合していただけでなく、端的にこれから引き出された結論であり実現であって、それ以外の何者でもないように思われる。 『三重の生について』なる著作において、フィチーノは占星術体系の叙述を行っているが、彼はこれを次のような思想を持ってはじめている。即ち、世界が単に死んだ元素の集積でなく、魂を吹き込まれた存在である限り、自然には、どこをとっても全体と並行し、かつ全体の外部に一つの独立した存在を有するがごとき単なる「部分」Teileは存在し得ない、とする思想である。我々が表面的に宇宙の部分と見なしているものは、より深く把握してみると、寧ろ宇宙(コスモス)の生活関連の中に一定の地位と必然的な機能を有している器官Organとして捉えねばならないのである。宇宙的作用連関の一元性は分化して、諸器官のこうした多様性を生み出す。しかし、こうした文化は如何な(167)る意味でも、部分の全体からの乖離を意味するものではない。単に、全体のその時その時の異なった表現Ausdruckを意味しているに過ぎない。それぞれが全体の自己表現の特殊な一側面なのである。 とはいっても、他方、こうした宇宙の完結性Geschlossenheit、すなわち、こうした「世界の調和」は特殊な諸力の歯車の如き相互の噛合いIneinandergreifenの中にあって、同時にそれら諸力間に一定の階層的な秩序Hierarchische Ordnungが存在しなかったならば可能とはならないであろう。宇宙の働きは一定の形式を維持しているだけでなく、至る所で一定の方向Richtungをも示している。その道は上から下へ、英知界から感覚界へと続いている。上の天上界からは絶えず下へと流出が続き、これによって地上の存在は養分を与えられるだけでなく、絶えず新たに受胎せられているのである。しかしフィチーノの説いたこうした流出論的Emanatistische自然学の形式は、尚依然として古代的な叙述、特にヘレニズム後期の魔術と占星術の古典的な手引書であるピカトリクスの意味において取上げられたものであり、いつまでもそのままの形を取り続けるわけには行かなかった。なぜなら、15世紀Quattrocentoの哲学思想が、階梯的な宇宙Stufenkosmos概念に決定的な批判を加えて以来、その最も強固であった基礎が破壊されていたからである。 ニコラウス・クザーヌスをもって始まった新しい宇宙論Kosmologieにおいては、絶対的な「上」Obenや「下」Untenは存在しない。従って最早、単なる一義的な作用の方向もまた存在しないのである。世界有機体の思想は、ここでは拡張されて、世界の元素おのおのが同一の権利をもって宇宙の中心と見なされうる、という形にまで変えられているのである。従来の、低次の世界と高次の世界との一面的な隷属関係は、いまや、ますます純粋な相関関係Korrelationsverhaeltnissesの形式を取り始めるのである。かくして、占星術的思想の一般的な諸前提が未だ力を残しているところでも、次第にこうした思想類型はその理論的基盤ともども変形せざるを得なかったのである。 (168)ドイツにおいては、こうした変形はパラケルススの自然哲学において最も明らかに示されている。「大」宇宙と「小」宇宙との関連及びその全面的な照応は、ここでは完全に保持されている。パラケルススにとって、これは全ての薬物学の前提を為している。「哲学は薬物の第一根拠」であり、天文学は「そのもう一つの根拠」とされる。「何よりもまず、医者の知らねばならぬ事は、<天文学>astronomicam philosophiamの取り扱う他の半分の部分、即ち、天上界において人間を理解する事であり、人間を天上界に移し、天上界を人間に移すことである。さもなければ、人間の医者足り得ないであろう。なぜなら、天上界はその領域に肉体を半分包含しており、したがって、半分の数の病をも包含しているからである。この半分の病について知らなくて、どうして医者たり得ようか。……宇宙誌に通暁していないものが、どうして医者たり得ようか。宇宙誌は医者の、とくに熟達せねばならぬものである……なぜなら、全ての認識は宇宙誌から生まれるのであり、これを欠いては何事も生じないからである」とされる。 それにもかかわらず、ここでは世界と人間との調和Harmonieは、最早単純な隷属Depenzという意味には理解されていない。しかも、全ての理論的な薬物学の主要課題は、この調和を理解する事にあるというのである。「互いに似ている二人の双生児のうち、これほどまで似ているのは、いずれが他を真似たものと言えようか。いずれでもないのである。それならば、我々はどうして自らを、木星の子であり、月の子であるというのであろうか。互いに我々は双生児と同じ関係にあるというのに」。ここで我々が、類似関係を因果関係に還元せんとすれば、この場合、因果関係の重心は「外的」存在から「内的」存在へ、事物の存在から「心情」Gemuetsの存在へと移されねばならないであろう。なぜなら、人間が火星を真似たと言うより、火星が人間を真似たと言ったほうがより適切だろうからである。「なぜなら、人間は火星やその他の遊星以上のものだからである」。 (169)ここにおいても、我々は再び、占星術の、緊密に接合されている自然主義的思想世界に、新しい、根本においては異質のモチーフが入り込んでいるのを知るのである。純粋に因果的な考察方法が突如として目的論的なそれに変化する――そしてこのことによって、いまや小宇宙と大宇宙との関係に関する一切の規定が、たとえその内容からいえば変化していないとしても、いわば異なった兆候を帯びてくるのである。ここでもまた、倫理的な人間の自意識が占星術の運命モチーフに対抗する事になる。このような独特の混合は、既にパラケルススの薬物学と自然哲学の外的な構成のうちに暴露されている。パラグラーヌム書Buch Paragranumは医学の「四つの柱」を示さんとするものであるが、ここには哲学Philosohia、天文学Astronomia、錬金術Alchimiaという三本の柱と並べて、勇気Virtusがあげられている。「第四の柱は勇気でなければならない。これは死に至るまで、医者のもとに留まらねばならない。なぜなら、これは他の三本の柱を管理し、保持するものだからである」。 小宇宙=思想――すなわち、ルネサンス哲学の理解した小宇宙=思想は、このような「Metabasis eis allo genos」このような自然学から倫理学への移行を許しただけではない。まさにそれを要求しさえするのである。なぜなら、小宇宙=思想においては、宇宙論は当初から生理学や心理学と結合していただけではない。倫理学とも結びついたからである。小宇宙=思想によれば、人間の自我Das Ichは世界よりして認識されねばならないのであるが、他方、この思想は真正にして真実の世界認識は自己知識という媒体を通して為されねばならぬ、という要求を自らのうちに抱いているのである。パラケルススにおいてはこの二つの要求は尚、直接並置されている。一方において、パラケルススは人間を「四元素によって構成された、鏡に映った肖像」以外の何者でもないとしている。「鏡の中の像は、いかにしても、自らの存在を他のものに理解させえない。他の者に己が何者であるかを決して知らせる事が出来ない。なぜなら、それは死んだ像として鏡の中に立っているだけだからである。これと同じく、人間もまた己自身の(170)中に立っているのである。人間からは外的な知識以外の如何なるものも引き出せない。人間は鏡に映った外形なのである」。それにも関わらず、この「死せる肖像」tote Bildnisはそれ自身のうちに純粋な主観性の全ての力、認識と意欲の全ての力を包含しており、まさにそのことによって、新しい意味で、世界の核、世界の中心となるのである。「なぜなら、人間の心情は何人も言い表せないほど、偉大なものである。かくして、神をはじめとして、第一物質prima material、天上界、これら三者は全て永遠にして、破壊されえないものであるが、同じように人間の心情もそうである。従って人間はその心情によって、その心情あるが故に祝福されるのである。我々人間が、我々の心情を正しく理解しさえすれば、この世で不可能な事はなくなるであろう。
(エルンスト.カッシーラー著 末吉孝州訳『ルネサンス哲学における個と宇宙』太陽出版・1999年)