Nicolaus Cusanus Nr.3 知恵と無学者 知恵の思想(160) これまでのクザーヌス研究においてはあまり論及されることがなかったが、クザーヌスの思想には「知恵」sapientiaについての生涯にわたる独自の施策が展開されている。特に中期以降、彼は哲学philosophiaを、ギリシア語の語源に戻って「知恵への愛」と捉えなおした上で、哲学者のことも「知恵を愛するもの」と表現するようになった。それは、知恵という形で神の力が被造世界に及んでいることが、彼により強く実感されるようになったからであろう。 1450年のもうひとつの著作『知恵』の冒頭近くに、旧約聖書「箴言」の伝統に依拠した次のような一説がある。「私はあなたに申し上げます。「知恵」は野外で巷に呼ばわっているのです。それは、「知恵」はいと高いところに住まっている、という叫びなのです」。ここでは知恵にも、精神と同様の「原像―似像」の図式が想定されており、(161)さらにこの知恵は「働き」として捉えられているのである。 さて、この知恵に関する図式は、精神の場合に比して、より深く駆使されており、最終的にはそれは、以下のような三角構造を持つものとして想定されている。それは、創造主たる大文字のSapitntia(創造者としての知恵)と、それによって創造された、人間の有する広義の知性としての小文字のsapientia(精神としての知恵)と、さらにもうひとつの同じく創造されたものであって、世界に秩序ordoとして存在する小文字のsapientia(秩序としての知恵)とが、「知恵の三角構造」とでも名づけるべき構造を形成することである。 この構造が意味することは次のようなことである。まず、神である「創造主としての知恵」によって、人間の「精神としての知恵」が生み出され、さらにそれの働きが支え(162)られている。他方、被造世界の有する秩序も、クザーヌスの思惟の到達点として「知恵」と名づけられる」この二種の被造物としての「知恵」の間で、「精神としての知恵」が「秩序としての知恵」を認識(把握)して、その見事さを知る、という関係が成立する。その結果、前者はさらにその創造主たる「創造主としての知恵」を愛amorをもってたたえる。こうして、総体として三角形を形成するamor sapientiaeという思惟、すなわち「哲学」が成立するに至る、という構造である。 ではこの「愛知」としての哲学とは、具体的にいかなる営みであろうか。それは以下のようになる。「精神としての知恵」である人間の探求が、「愛」を持っていわば水平的に働くとき、それは「秩序」の探求たる外界への認識活動となるが、それは何よりも世界に存在する「秩序」の探求となる。同時にその外界たる「秩序としての知恵」には、「創造主としての知恵」に由来する「宇宙的愛」が作用しており、その結果、それは現にある「秩序」として存在しているのであるが、その秩序付けは「創造主としての知恵」が自らを明らかにするという目的に向けられているのである。 したが手、外界たる「秩序としての知恵」は「精神としての知恵」に対して「励起」として作用することになる。この事態が『精神』において以下のように説明されているものである。「resものを把握する概念的な力としての精神の力は、感覚的なものによって励起されてのみ、その作用が可能となるのであり、さらに感覚的な表象に(163)よってのみ、励起されうるのである。だからこそ、精神の力は、いわば励起成立のための必須条件として、肉体的器官を所有しなければならないのである」。 しかし、この励起によって作用し始める精神の活動の最終目的が外界の認識にとどまるものでないことは、直前に記したとおりである。さらに留意すべきことには、このように「精神としての知恵」の「創造主としての知恵」への上昇は、自力で成功することではなく、それに先立つ神からの引き寄せが前提とされているのである。 この構造の中で人間は、真理を対照的に捉えるのではなくて、真理に支えられつつ、真理に自ら一体化することを目指すのである。伝統的な学としての哲学とは異なるものとしての「愛知としての哲学」にクザーヌスが求めたものは、このような意味での「真理把握の直接性」に他ならないであろう。この場合の愛は、単なる人間の感情に関わる限りでの、あるいはそれとの比ゆとしての「愛」ではなく、むしろきわめて広義なものとしての「宇宙的愛」である。この「愛」による「出会い・一体化」coincidentiaが、クザーヌスの思考における「信仰」と「学知」との結合と「認識」と(164)「存在」との親近性を成立させるのである。 以上のような枠組みの中に、クザーヌスにおける人間の真理認識、すなわち「愛知としての哲学」は設定されているのである。
「無学者」の思想 1450年の夏に著された三つの対話編には、共通のIdiotaという特異の存在が主人公として設定されている。ラテン語idiotaは……この時代には必ずしも一方的な軽蔑的な意味ではなく「無学者」とか「ラテン語の出来ない人」とか「聖職者ではない俗人」)とかを意味していたという。 とはいえ、弁論家とか哲学者という当代一流の知識人を相手に対話をして、彼らから教えられるどころか、むしろ彼らに教えることになると描写されて居るこの無学者という人物像は、クザーヌスが明確な意図を持って導入したに違いない。一連の著作の最初の場面となる『知恵』の冒頭は以下のように書き始められている。 :ある貧しい無学者が、ローマの広場できわめて裕福な弁論家と出会った。この無(165)学者は弁論家に愛想良く微笑みかけながら、こう話しかけた。「あなたのうぬぼれに私は驚いている。というのも、あなたは無数の書物を読み続けるという耐えざる読書によって疲れきっているのに、いまだに謙遜へと導かれていないのですから。こうなったのは、次のようなことからに違いありません。すなわち、あなた方の人々よりも優って持っていると思っているこの世界の知恵は、神の元ではいわばおろかさなのです。それゆえにあなたは傲慢になっているのです。しかしまことの知識は人を謙虚にさせます。あなたがこの真の知識に向かうことを私は願っていたのです。そこには喜びの宝庫があるからです」。弁論家「君はなんて僭越なのだ。貧しく無学でまったくの無知な君が、それなしには誰も進歩できない書物による研究を軽視するとは」。……無学者「私が申し上げたいことは、あなたは権威によって導かれ欺かれているということです。あなたが信じている言葉は誰かが書いたものなのです。しかし、私はあなたに申し上げます。「知恵」は野外で巷に呼ばわっているのです。それは「知恵」はいと高いところに住まっている、という叫びなのです」。 (166)このような無学者の宣告に驚かされた弁論家は、教えを請おうとする。しかし無学者は「あなたが好奇心による探求を捨てた心構えになっていることが確認できれば、私は大いなることを解き明かすことが出来るのですが」といい、また「あなたが心から懇願しているのでなければ、私は知恵の秘密を説明することを禁じられているのです。なぜなら「知恵」の秘密とは、誰にでも何処ででも開示されるべきものではないからです」と言って、弁論家の好奇心と野心に駆られている探求の心構えを批判する。 同時にこの無学者については、その「低さ」が強調されている。先の引用文で見た描写と弁論家の発言に加えて、『知恵』第2巻では、この対話の結果、不安に駆られた弁論家が、後日、無学者に教えを請おうと彼を探すと、「永遠の神殿」近くの、とある地下室に隠棲している無学者を見出して、対話が始まる。さらに『精神』では、この無学者が木さじを作る一回の職人であって、彼が自分の仕事に満足していることが描写されている。このように、その存在の「低さ」が強調されているのである。 以上のことから明らかなように、クザーヌスがこの「無学者」という主人公を設定している糸は、人間が正しく生きるためにはまずもって信仰の篤さこそが重要であることを強調すると同時に、学問的知識の追求を自己目的化している専門家を批判することである。逆に、神の被造物である<世界という書物>の総体を読み解く為には、神に(167)のみ従い、世俗の権威から自由になって研究を展開することが必要であることも強調されているのである。 その<低い存在>としてのむ学者が、自然研究において時代を画するほどの新たな提言をしていることも注目すべきであろう。それはすでに言及した『はかりの実験』で無学者画質の違いを量の違いか説明できるはずだと論じていることである。 最後にクザーヌスが自身をローマ教皇庁における<無学者>として位置づけていたのではないか、と思われる点に論及したい。すでに記したように、ドイツの片田舎の市民階級出身であるクザーヌスが枢機卿と司教にまで栄進したことは、当時のカトリックッ教会に於てはきわめて例外的なことであった。このような自らの出自が教皇庁においていかなる意味を持っているかについて、クザーヌスは十分に認識していた。それは、彼が枢機卿になって自分の紋章を定めるに際して「ザリガニ」という意味の自分の苗字にちなんだ赤いザリガニを選んだことにも表れている。 (168)その後も彼は、キリスト教世界全体、自分の司教区、そして最晩年には教皇庁そのものの改革にまい進し、その結果、孤立することになった。その典型的な場面は、彼のしに先立つこと3年の1461年暮れのこととして教皇ピウス2世が伝える、以下のような逸話である。 :「私はへつらうことは知りません。追従は嫌いです。あなたが真理に耳を傾けることが出来ない限り、私はこの教皇庁で進行しているすべてのことを好みません。すべてが腐敗しています。自らの義務を果たしている人は誰も降りません。あなたにせよ枢機卿たちにせよ、教会に配慮することがありません。教会法が守られているでしょうか。法に対する尊敬が存在しているでしょうか。神への礼拝が遵守されているでしょうか。誰もが野心と貪欲にとらわれているのです。私が枢機卿会議で改革について話そうものならば私は笑いものにされます。ここでは良いことは出来ません。辞任することを私にお許しください。もうこんなことには耐えられません。私は老人で、休養が必要なのです。人里はなれたところに帰ります。そして、私はもう公共の福利のために生きることが出来ないので、自分自身のために生きることにします。」こういって彼はわっと泣き出した。 (169)ここには、神に愛されることだけを求めて、被造世界では孤立することをもいとわない愚直な老人の姿が見出されるであろう。これはクザーヌス自身が提唱した「無学者」の実践ではないだろうか。 神への絶対的信頼 「神を観る」ことのクザーヌス的構造 クザーヌスの思想は一般に神秘主義としても知られている。しかし、彼の思想の変遷を跡付けてみると、彼にとって真理である神を観ることについての表現は、その前期と後期とでは対照的とも言えるほどに異なっている。 すでに見た前期の主著『覚知的無知について』第一巻の末尾には以下の様に記されている。「以上のことから我々は、厳密な真理は我々の無知の闇の中に把握されえない仕方で輝いていると結論する。これが我々が探求して来たあの覚知的無知である。覚知的無知によってのみ我々は、あの無知の教えの段階に従って、無限な(170)善性を持つ最大な1で3なる神へと近づくことが出来るのであり、その結果我々は神を、彼がご自身を我々に把握されえないものとして示してくださっているということのゆえに、我々の努力の限りを尽くして常に賛美することが出来るのである」。 ここでは、神・真理とは闇の向こうに存在する把握し得ないものであるとしている。しかし、中期の著作『知恵』においては先に見たように、神・真理たる知恵は「野外で巷に呼ばわっている」としているのである。 さらに最晩年の著作である『テオリアの最高段階について』でクザーヌスは、以下のように振り返っている。「真理は明白になるほど、把握するのが容易になります。かつて私は、真理は暗闇に於てのほうがよりよく見出されるものだと考えていました。「ところが」真理とは大いなる応力を有するものです。というのも、真理には可能自体が映現しているのですから。それゆえに真理は路上で叫んでいるのです―――かつてあなたが『無学者の対話』で読んだことがあるように。真理は確かにいたるところで自らを容易に見出されるものとして顕しているのです」。 この引用文の中にある「かつて」が、先に引用した『覚知的無知について』の一節であることは明白であろう。では、このような真理把握について思考の変化が成立した理由は何であろうか。それは、現実の世界が神による被造物であるという、キリスト教世(171)界において伝統的に自明の事柄をクザーヌスが考え抜くことで、この世界の価値を認めることが出来るようになったことによって成立したのである。その価値付与とは、我々が「知恵の思想」で見た「知恵の三角構造」の確認である。 そして、この三角構造と密接に関わる形で、神・真理を観ることの容易さがクザーヌスに実感されてきたのであろう。その典型的な例が、クザーヌスの神秘思想の頂点とされている『神を観ることについて』に叙述されている。 この書物のタイトルにある「visio Dei」という表現は、二義性を有しており、「人が神を観ること」と「神が人を見ること」を意味しているが、この二義性は、単なる言葉遊びではなく、この書物で展開される思惟そのものを表現しているのである。クザーヌスは、ここで「神が被造物、とりわけ人間に対して注ぐまなざし」という形で神と被造世界の関係を設定する。その際に「絶対的な視」と「縮減的な視」という区分を設定して、前者は校舎のあらゆる形式を包含しているが、後者から影響を受けることは無いものであるとした上で、これを神の観ることに、後者を人間の見ることに配(172)当している。その結果、人間の見る営みのいかなるあり方も、すでに神の絶対的な視を前提しているものであることになり、さらに、前者のいかなる内容もすでに神の絶対的な視に含まれている、つまりそれによって予見されているものであることになる。 こうして、クザーヌスの視への思弁は「神を観ること」へと収斂されて、次のような実感的認識に到達するのである。「主よ、あなたが私を慈愛のまなざしで見つめてくださっているのですから、あなたの見ることは、私によってあなたが見られること以外の何でありましょうか。あなたは私を見ながら、隠れたる神であるあなたを私によって観させるために「あなたを私に」御贈りくださっているのです。あなたが、自らを観させる様にと送ってくださらない限り、誰もあなたを見ることは出来ません。あなたを観る事は、あなたを観ているものをあなたが観てくださることに他ならないのです」。これが、この書物のタイトルになっているvisio Deiの二義性の根本である。このような文脈においてこのvisio Deiが語られているのであるから、これもまたひとつの<反対対立の合致>であると言ってもさしつかえないであろう。
宗教寛容論 クザーヌスの思想の持つ現代的意義のひとつとして、彼の宗教寛容の思想を挙げねばならない。彼がこの問題を主題的に扱う著作は『信仰の平和』と『コーランの精査』で(173)であるが、彼の他宗教への関心は、前述のとおり、若いときから終生存在した。また、逆説的に響くかもしれないが、彼は『神を観ることについて』で我々が見たような、深いキリスト教信仰を持っていたからこそ、他の信仰に対しても寛容になれたのであろう。以下で、彼の宗教寛容論を構成する四点の思想的要素を紹介しよう。それは、下位の絶対的で普遍的な想像力への信頼でもある。 (1)<多様な儀礼の中にひとつの信仰が>una religio in rituum varietate―――この句は、『信仰の平和』第1章に記されているが、現実に存在する諸宗教において儀礼がいかに多様で互いに異なっているように見えても、その中には共通のひとつの信仰が存在しているという意味である。 ところが、この「ひとつの信仰」とは何を意味しているのかという点について、従来多様な見解が存在するが、クザーヌスのここでの主張を結論的に記すと、以下のようになる。現実に存在する諸宗教はいずれも共通の、ひとつの真の宗教の儀礼体系なのである。この真の宗教とは、キリスト教も含めて現実に存在するどの宗教でもない。つまり、宗(174)教と儀礼の体系の位相をひとつずつ上にずらして考えているのである。このように考えることで、キリスト教中心主義を超える視点を確保しているのである。 (2)<万人が善のみを志向する>―――この第2の要素を、晩年の著作である前掲の『コーランの精査』の序文に見出すことが出来る。特に注目すべき点は「この、人間が本性的に志向する善について議論する場合に我々は、互いに理解するためにこれを神と名づけているのである」としていることである。つまり、宗教一般における崇敬の対象を、直ちに「下位」としてではなく、まずは「善」という宗教的要素を有しない一般的なものとして捉え、それとして提示することである。 <善の志向>を共通の土台にすえたのは「邪教」と見るイスラムさえも、万人に共通の「善の志向」の表れであって、そのように理解すべきであると、クザーヌスは周囲に訴えたかったのに違いないのである。 (3)signa-signatum論―――この「徴で表されるもの」signatumとそれを表す「もろもろの徴」signaとの関係についてのクザーヌスの思考は、『信仰の平和』で諸民族の博士であるパウロの言葉として展開されている。 つまり、儀礼という「もろもろの徴」が変化を受け入れても、その「徴で表現されるもの」が変化をこうむるわけではない。すなわち神および神への信仰そのものに影響が及ぶことは無いというものである。この視点に立てば、絶対的存在そのものとしての(175)「神」がもろもろの宗教集団において多様な名称で呼ばれていようとも、また多様な儀礼がささげられていようとも、それらの間の相違は問題にならないのである。そこに善たる神を求めるという善意が働いていさえすれば、互いに等価であることになるのである。 (4)pia interpretatio―――先のsigna-signatum論と密接に関わりながら晩年のクザーヌスにおいて明確に提唱されているのが、このpia interpretatio「温情深い解釈」という思想である。 この表現はクザーヌスの晩年の著作である『コーランの精査』第2巻の冒頭に現れる。これがどういう意味を持っているかについては、以前からさまざまな説が成されている。この著作におけるpiusという語の用例を検討すると、これはキリスト教(176)の場合にせよイスラムの場合にせよ、神の愛の人間に対する働き方が「温情深く哀れみ深い」ものであることを表現しようとしているものであるとともに、クザーヌスの使用したラテン語訳コーランにおいてすでに神について用いられていることを考慮すると、このpia interpretatioをもって意味しようとしていることは、神の人間に対する慈愛豊かなあり方に倣った形で、コーランという異教の聖典に対して「温情深い解釈」を施そうとしているのだと推察されるのである。 こうしてクザーヌスは、この「温情深い解釈」をコーランに施すことによって、以下のことが明らかになったとする。①アラブ人が気づくことなく容認していることがあり、また②ムハンマド自身が気づくことの無いまま予言したことがコーランに含まれており、さらには③コーランの表現をも越えた神の真理がコーランには含まれている。 さて「温情深い解釈」という方法には、クザーヌスが込めたもうひとつの意図があったと推測される。それは教皇ピウス2世に対するクザーヌスの切実なる訴えである。ピウス2世にその教皇名(ピウス)の持つ「温情深い」という意味を想起させながら、対イスラム・トルコの姿勢を変えさせようと試みたのではないだろうか。『コーランの精査』全体の締めくくりの「汝が極めて聖なる福音を呼んで理解できるようにと、神が汝の目をかたじけなくも開けてくださるならば、上述のことがそのとおりであることを汝は明らかにかつ極めて明瞭に見出すであろう。「pius」で哀れみ深く絶えず祝福(177)されるべき神が、汝にこのことを恵んでくださるように」という祈願を考え合わせると、このような推測もあながち的外れとはいえないように思われるのである。
協和の思想 クザーヌスの生涯は、その悲劇的最期が示しているように、決して平穏なものではなかった。彼は数え切れないほどの紛争に巻き込まれ、自ら蹉跌に遭遇している。 しかし、彼の生きる姿勢とつむぎあげた思想は、不思議なほどに積極的なものである。(178)彼には、社会的存在についての強い改革の意思が、若いときからその生の終わりまで存在し続けた。それは、冒頭に掲げた伝記的一説が示しているところである。このような生涯にわたる改革への熱意は、彼が自らの生きる世界に積極的な意味を見出していたからに違いない。眼前に展開されている現実の世界がいかに混乱と争いに満ちていようとも、この世界が神による被造物である限りは、必ず協和へと向かっているはずだ、という確信がクザーヌスには存在していた。つまり多様性deversitasから協和concordantiaへという傾向をこの世界は神から付与されているはずだという確信である。 このような彼の生き方と相即して、その思想もまたポジティブであった。しかし、決して手放しの人間中心主義ではない。むしろ逆である。人間という存在を神という絶対的存在の地平において考察することによって、人間存在の限界を明確にした上で、その限界を神が支えてくれるという、神への絶対的信頼が脈打っているのである。このような思想に裏打ちされていたからこそ、ニコラウス・クザーヌスは現実の世界に積極的に参加し続けることが出来たのであろう。
(伊藤博明編『哲学の歴史 第4巻 ルネサンス 15-16世紀』、中央公論社・2007年)