2009年4月5日日曜日

Nicolaus Cusanus

Pico et Cusanus クザーヌス (177)しばしばピコと結び付けられ、同じくプラトン主義者と呼ばれる事があるニコラウス・クザーヌスは……ピコの生年の次の1464年に、63歳で世を去っている。ドイツ西部のトリーアに近いクースの町にニコラウス・クレプスとして生まれ、ハイデルベルク、パドヴァ、ケルンで哲学・法学・神学の養育を受けたが、これは教会人として急速な昇進を果たしたクザーヌスの経歴にはまたとない準備だった。1431年以降、クザーヌスは公会議派としてバーゼル公会議で頭角を現したが、大方の意見が教皇権に好意的な方向へ傾くと、最終的に見解を変えた。1436年以降に司祭に叙階され、1450年の聖年までに司教と枢機卿になったあと、教会改革の大義の為に休み無く活動した。バーゼルでは教皇庁で働くイタリア人の人文主義者たちと出会い、1437年に、ギリシア人を38-39年のフェッラーラ=フィレンツェ公会議へ招く任務を帯びた代表団(178)の一員として、ビュザンティオンへわたった。ギリシア語写本が彼の収集した有名な大部の蔵書の一部をなしていたが、クザーヌスの最も名高い発見は、中世には忘れ去られていたプラウトゥスの12の喜劇を1429年に発掘した事にある。40歳の頃、最もよく知られた著書『学識ある無知について』を書き上げると、クザーヌスは、教会政治における多忙な活動に、哲学・神学の著述という第二の経歴を加える事になった。書簡・説教のほかに、クザーヌスは教会統治から数学に渡る多様な主題について、おおよそ40篇の著作を書いた。そのうち半分以上が哲学的に興味のあるものである。 ピコとフィチーノに似て、クザーヌスは学生生活を終えた後は大学を去った。教授としての責務を免除されていた事は、彼が折衷主義的で独創的な思想家に成長するための一助となったに違いない。クザーヌスの初期キリスト教文献に関する知識はギリシア教父にまで及んでいたし、スコラ法学・神学・哲学、とりわけ同時代の人々に「古い道」として知られていた伝統のアルベルトゥス・マグヌスにまで遡る系統について、広範な知識を持っていた。トマス・アクイナス、トマス・ブラドワディーン、ライムンド・ルルス、さらにはスコトゥス主義者のフランシスコ会士たちも良く用いた権威だった。唯名論は彼の著作の多くの箇所に明白に見て取れるが、クザーヌスは、オッカム以後の世代の、近年のスコラ学論争を把握していたようには思われない。アリストテレスは人文主義者の翻訳と中世の翻訳との両方で読み、フィチーノ以前に知られていたプラトン主義の伝統全体を把握していた。偽ディオニュシオスは彼の大きな霊感の源泉だったが、そのほかにもアウグスティヌス、プロクロス、カルキディウス、エリウゲナ、アンセルムス、シャルトルのティエリなどに依拠した。マイスター・エックハルト、ビンゲンのヒルデガルト、サン・ヴィクトルのフーゴー、ボナヴェントゥラの神秘神学がクザーヌスのディオニュシオス的プラトン主義を補強した。アリストテレスの有用性を倫理学と自然学の問題だけに限定し、神学の基盤として、アリストテレス主義形而上学に変わるものを見付けようと努力した。クザーヌスは、彼自身の時代の直接の状況よりも、ヨーロッパの知的歴史という幅広い文脈のほうに寧ろよく収まりがつく。同時代に於ては、双方向の影響関係を明確に特定するよりも、クザーヌスの思想との類比物を探し当(179)てるほうが用意なのである。ある全般的な意味で、またいくつかの論点における彼の強い反プラトン主義的な見解を認めたうえで、我々はクザーヌスを、ルルスとディオニュシオスの諸観念に新しい表現を与え、それらをブルーノや後世のドイツの思想家たちの時代にまで保存した、プラトン主義の伝統に連なる重要な人物と認定しなければならない。 クザーヌスは、彼の最初にして最も有名な哲学的著作『学識ある無知について』を1440年に完成した。これはディオニュシオスの否定神学を見事に再定式化したもので、その全3巻は、神・宇宙と人間との知的距離が、キリストの受肉という超越的秘儀によってのみ埋められうる事を示している。人々は、より知られている事物を知られていない事物に比較することで、彼らの知識への欲求を自発的に表現するが、計算と測定に関する最も抽象的で正確な省察でさえ、不均衡の危機に終わってしまう。円に極限として接近する多角形と同じように、真理への各々の近時は常に次の近似に届かない。神的・宇宙的無限は、人間の持つ有限な概念と整合する事が無い。ソクラテス的な無知の確信だけに、この認識論的不均衡のめまいを止める事が出来る。ペトラルカの流れを汲む人文主義者たちのように、クザーヌスもまたスコラ諸学派の饒舌な論理学、推論の耳障りな騒音から介抱される事を願ったが、ピコと同じく、クザーヌスはより優雅な言語ではなくより深い沈黙に救いを求めた。「神秘的神学は休止と沈黙へと通じており、そこでこそ、我々は不可視的な神を眼にする事を許される。一方、我々を争いのために訓練し……言葉の勝利を望む間は理解しないままに象徴・比喩・謎を通じて神性を知る。しかし、数学と幾何学から生じた最良の象徴・比喩・謎でさえ、それらの神的な範型にまことにつりあうことの無い似姿に過ぎない。それゆえ、神はあらゆる最小のもの・最大のもの・矛盾を飲み込む深淵における「対立物の一致」だという主張、神的逆説のこの言明さえも、それが無限の神についての有限な人間的主張であるために、失敗するほかは無いのである。 創造者から疎外された人間は、他の被造物からも隔てられた存在である。何故なら、世界内の事物には、それらを知る(180)事を可能にするような共通の均斉が欠けているからである。クザーヌスは知るという事を,比較すること或いは測定することと同一視したが、人間と神との間にも、人間と宇宙の他の部分との間にも、まことの尺度を見出すことが出来なかった。人となって死んだ不死の神であるキリストだけが、神的なものを知るという探求において人間に希望を与える。自らの位格のうちに人間性と神性との乖離を解消したキリストのように、被造物たる人間は高次の本性と低次の本性との結節点であり、大宇宙の無限を集約する小宇宙である。しかし、知性という単なる人間的な能力だけに依存するならば、人間は神と宇宙から流謫の身であり続けるだろう。キリストへの信仰だけが、放蕩息子を帰郷させるだろう。   :理解は信仰とともに始まり……「信仰は」あらゆる理解可能な事物をそれ自体のうちに包み込む。……神は、理性・臆見・学識が象徴を通じて我々をより知られたものから知られないものへと導く現世では認識不可能であるから、議論がやみ信仰が始まるところで始めて我々は神を把握する。信仰は単純性において、あらゆる理性と知性を超えた、最も単純な知的活動の第3天へと我々を運んで行く……その結果、我々は肉体の中で非肉体的に……天上的で理解しがたい仕方によって神を観想できるようになり、その卓越性の巨大さゆえに神が理解し得ない事を悟るのである。そして、これこそが……かの学識ある無知である。: 無知は、人々がそれを率直に告白し、その含意するものを認めるときに、学識あるものとなる。それらの含意の中最も明瞭なのは、神へと至る道として、神秘的信仰が理性的推論のかわりになくてはならないということである。 『学識ある無知について』を書き上げてから4年以内に、クザーヌスはこれと対を成す作品『憶測について』を完成した。これは、人間の主張はすべて臆測であり、せいぜいのところ真理への近似に過ぎないという一見したところ懐疑主義的な見解を、人間の知的地位のより楽観的な展望へと変えている。クザーヌスは、聖書の創造の説話、(181)徳に人間が神の似姿に作られたという記述を解釈して、人間とその精神の理性的所産との関係は、神と世界の現実の事物との関係に等しいという意味に取った。神は現実の事物を創造した。人間は臆測を創造する。この根拠に基づいてクザーヌスは人間の理解を神が創造した実在の構造―――人間の理性的構築物は、憶測からなるその似姿なのだが―――に近づけるための、憶測の術、数学的比喩の体系を提唱する。自らが指定した精神的訓練を図示するために、クザーヌスは彼独特の図表の一つを補っている。 ……(182)クザーヌスは、存在と思考という下位の位階が神的単一性から展開する事を示す、もう一つの関係を導き出した。憶測の術それ自体が、無限性から分離したために弱められたとはいえ有限な領域の中では大きな力を振るう、人間の創造力を例示している。ある人間が何かあるものについて考え続ける事が出来るという事実自体が、その思考者が不死である事を示している。霊魂の一機能である思考は、絶えずそれ自体を複製し、恒常的な能力を必要とする。人間の創造力についてのこの思索から出発して、クザーヌスは次に人間の尊厳について雄弁を振るう。   :されば人間は神であるが、絶対的な意味に於てではない。というのも人間なのだから。それゆえ、彼は人間的な神なのである。人間はまた一つの世界だが、収縮した万物なのではない。やはり人間であるのだから。ゆえに、人間は小宇宙である―――少なくとも、人間的な世界である。……されば、人間は人間的な神となりうるし、人間的な流儀における神として、人間的な天使、人間的な獣……そのほかの何にでもなる事が出来る。全てのものは、それぞれの仕方で、人間の能力の埒内にある。: この表現はピコのそれに劣らず力強いものであり、ほぼ半世紀ピコに先行している。 クザーヌスは1450年に、主人公にちなんでまとめて『無学者』という表題で呼ばれる三つの対話編を書いた。この主人公は素朴な「職人」で、世間知というキリスト教的立場から、対話に於て「弁論家」と「哲学者」を打ち負かす。数と配列の行為としての創造という聖書の記述(智恵の書)は、市場での世俗的な金勘定やはかりを神聖化する。そこでは、一般信徒の陳腐だが直接的な経験が、学識あるものの仲介者を経た知識よりも上手に叡智へと到達するのである。素朴な木のさじを作る「無学者」の仕事は、人間の製作術と神の製作術との関係、模写と範例との関係を示すと同時に、(183)人間の技芸が、自然の模範なしに事物を形成する事に於て、創造された自然を超越する事をも示唆している。神―芸術家は現実の事物を作った。人間―芸術家は概念的な作品を作る。しかし、その限界内において、人間の仕事は能動的で創造的なものである。自分の知性の弱さの意識は、謙遜という宗教的経験として内面へ向けられて、「無学者」の無知を学識あるものだけでなく神聖なものともする。「無学者」の世俗性と創造性という相矛盾する資質を見事に表現する、この木彫りのさじというイメージは、神秘主義の言説と哲学の言説との間の緊張を和らげるためにクザーヌスが用いる、幾つかの詩的な工夫のうちの一つである。 これらの工夫の中でもっとも印象的なのが恐らく、1453年の著作『神を観ることについて』だろうが、ここでは、神と人間との間の相互的知識を表す比喩としての光と視覚という古くからの主題が考察される。修道士たちから神秘的神学について受けた質問に刺激されたクザーヌスは、キリストの聖画像を主要な比喩に選んだ。よく知られたイメージに言及しつつ、念頭に置いた絵画の一例を修道士に送って、クザーヌスは個々の人間への神の全知の配慮を、あらゆる観察者の動きを追っているように見える絵画中のキリストのまなざしにたとえた。「無学者」のさじのように、修道士の聖画像はありふれた経験の中にある人工物だが、そのイメージは、遠く離れた神のうちに平安を求めるがゆえに絶えず人間を動揺させる神の愛を包んでいるために、よりいっそう強力な比喩になっている。動かない神の創造的で予見的な動きが、1460年の対話編『可能現実存在について』で描かれる二律背反である。「私は、平凡な慣習によって我々みなが知っている例を取り上げる事にしよう」とクザーヌスは書いている。   :少年たちが遊びに使うこまである。……少年の腕が強ければ強いほど、こまはより速く回転する、その為動きを増しているのに静止し休んでいるように見える。……これで、どのように神学者たちを調和させればよいかお分かりだろう。彼らのあるものは、神なる叡智はどの可動的なものよりも良く動くという。……他のあるものは、固定した第一原(184)理はあらゆるものを動かすけれども、自らは動かずにとまっているという。: 最晩年の著作の一つ、1463年の『ボール遊びについて』で、クザーヌスは同種の比喩を再び使った。ボールの動きを肉体に生命を与える霊魂にたとえて、クザーヌスは、自由に発想する霊魂の能力を、遊びそのものと比較する。遊びはここで、明確に人間的な活動、文化的創造力のしるしとされるのである。 もう一つの晩年の作、1458年の『緑柱石について』は、「緑柱石」―――実際には、光を屈折させる一種の仕掛けだが―――を用いて、丁度レンズが直進する光を様々な角度に曲げるように、神的な単一性が多様性を生み出すさまを示している。光と視覚の幾何学への強い関心を追求しつつ、クザーヌスはこの著作でプラトンの数学的イデアの形而上学にあえて異義を唱え、数や幾何学的図形は精神外の実在では無いという、強く反実在論的な立場を取った。それらは理性的な構築物であり、その分析力は、「人間が万物の尺度であるというプロタゴラスの箴言」を、また人間がもう一つの神であると言うヘルメスの主張を裏付けている。全般的に言って、クザーヌスは後期の思想で、普遍が精神の外部に、ある限定された存在を認められていた初期の『学識ある無知について』の認識論的暗黒が示唆するものよりも、人間の状態に対する明るい見方に傾いた。全く緩やかな流儀でではあるが、プラトン主義の存在論と楽観的人間観とは、クザーヌスにとって、反比例する関係にあったように見える。彼の目に映る人間の姿がより活動的・創造的になるにしたがって、人間精神はその内容の実在性に対してより大きな責任を担うようになった。生涯を通じ、クザーヌスは、普遍についてのみならず、運命の力、世界の創造、世界^霊魂の存在、第一原理の指示と定義など、他の論点についても、プラトンへの異論を公言し続けた。ピコの著作に単一の影響が察知できない事に比べれば、クザーヌスの思想全体はディオニュシオス的なプラトン主義に彩られているが、ピコと同様クザーヌスも、教条主義的プラトン主義者というには程遠かった。両者とも、ある意味ではプラトン主義者であって、詩或いは雄弁の炎が時として哲学の冷たい火よりも激し(185)く燃え盛っていたし、両者とも、神の最も創造力豊かな被造物としての人間をたたえようとする熱烈な信念に動かされていた。クザーヌスは、彼が最も深遠な影響を及ぼした16世紀の思想化ジョルダーノ・ブルーノよりも間違いなく敬虔だったし、クザーヌスの観衆に縛られない神学は、ある点で彼が先取りしていた後代のもう一人の哲学者バルーフ・スピノザの見解よりも確かに正統的だったのである。(185)
(チャールズ・B・シュミット/ブライアン・P・コーペンヘイヴァー著 榎本武文訳『ルネサンス哲学』、平凡社・2003年)