2009年4月5日日曜日

Giovanni Pico della Mirandola Nr.2

Giovanni Pico della Mirandola Nr.2
 哲学的平和(231) ピコは存命中から友人たちによって「調和の君主」princeps concordiaeと呼ばれていた。この添え名は、彼の一族が所有する領地の一つであるコンコルディアにちなんでつけられたものであるが、実際、ピコの思想的理想を端的に表現している。すなわち、ピコが達成しようと居た事は、彼の時代までに人類が生み出してきた知的遺産を咀嚼して総合し、そこから新しい哲学を打ち立てることであった。スコラ哲学に対するピコの態度、また自己の議論における「古代神学」prisca theologiaや様々な学派への言及から理解しうるように、彼の理想は、哲学的・宗教的伝統を『プラトン神学』によって統一的に理解しようとしたフィチーノをはるかにしのぐものであった。<哲学的平和>と呼ばれる、このピコの試みは、人間の尊厳に関する教説と共にピコの思想的中核を形成していたのである。 ピコが諸学派の協和を説く根拠は、フィチーノと同様に、古代から連綿と知的営為(232)が受け継がれ、存続してきた事実に求められる。『人間の尊厳について』で述べられているように、「全ての知恵は異邦人から流れ出てギリシア人へと、ギリシア人から流れ出て我々へと到達した」。そして、ラテン人たちは「哲学すること」において常に異国の人々の発見に依存し、その発見を完成したことで満足した。「異邦人」について、『人間の尊厳について』では詳しく言及していないが、その「草稿」では、ヘブライ人とカルデア人の名を挙げている。聖なる文書と隠れたる奥義は、まずヘブライ人とカルデア人から、序でギリシア人から取り出さなければならず、他の諸学派と多種多様な哲学は、アラビア人がギリシア人と分かち持っているのである。ピコは実際、哲学のあらゆる師を介して自己を形成し、あらゆる学派を認識するために、ギリシア語だけでなく、ヘブライ語とカルデア後、さらにアラビア語を学んだと述べている。 ピコが企てた討論会は,まさに「哲学的平和」を立証するためのものであった。ピコが論議の対象とした諸学派については、『提題』から知られる。この900の論題集は、大別した二つの部分からなっている。前半の402の論題は諸学派から取り出されたものであり、後半の498の論題は「ピコ自身の見解に基づいた」ものである。前半部はさらに七つのグループから、すなわち「ラテンの哲学者たちと神学者たちの教説に基づいた論題」「アラビア人の教説に基づいた論題」「逍遥学派を公言しているギリシア人に基づいた論題」「プラトン主義者と呼ばれる哲学者た(233)ちの教説に基づいた論題」「カルデア人の見解に基づいた論題」「エジプト人メルクリウス・トリスメギストスの古代の教説に基づいた論題」「ヘブライの知恵あるカバラ主義者の秘儀的教説に基づいたカバラ的論題」から構成されている。 ピコは主だった哲学者たちの特徴を『人間の尊厳について』において描写しており、その中でも特にプラトン主義者たちを賞賛している。ピコによれば、例えばプロティノスはあらゆる点で驚嘆すべき哲学者であって、神的な事柄については神的な仕方で、人間的な事柄については人間をはるかに超えた仕方で語った。その他のプラトン主義者たちの中にも、彼らに共通の特徴である「神的なもの」が常に輝き出ている。ピコによるプラトン主義者たちの重視には顕著なものがあり、その点でフィチーノの衣鉢を継いでいると考えられる。残る、ヘルメスとゾロアスター(カルデア人)の論題にも、フィチーノの「古代神学」の影響が窺われるが、最後のカバラへの関心はフィチーノに見出せないものである。 (234)『提題』の後半部は、ピコ自身の哲学的見解を示すもので、そこに彼の思想的な独自性が強く表現されている。『人間の尊厳について』における説明によるならば、第一に、これまで多くの人々によって信じられてきたが、誰によっても十分に立証されていない「プラトンとアリストテレスの協和」が論じられる。次には、ドゥンス・スコトゥスとトマス・アクイナスの所説、およびアヴェロエス(イブン・ルシュド)とアヴィセンナ(イブン・シーナー)の所説の協和が説かれる。そして、アリストテレス及びプラトンの哲学に関して、新しく考案された論題が、また自然学及び形而上学についての新しい72の論題が提示される。続いてピコが提示する論題はきわめて特徴的なものである。すなわち「数を介して哲学する新しい企て」が語られ、さらには「魔術の諸定理」、ヘブライ人の古代の神秘であるカバラ、オルフェウスとゾロアスターの詩句に関する論題が取り上げられている。  プラトンとアリストテレス 先に言及したバルバロ宛の書簡において、ピコは「脱走兵としてではなく偵察兵」として、プラトン主義を学び始めたと述べていた。その書簡においてピコはまた、プラトンに認められる二つの点を指摘している。第一は、その演説が人々を高揚させる「ホメロス的な雄弁の能力」である。第二は言葉上は対立しているが、内容的にはア(235)リストテレスとの見解の一致である。ピコが最初に学んだのはアリストテレス派の哲学であり、プラトン哲学に接して、そこにアリストテレス哲学と合致する点を見出したのである。『人間の尊厳について』の言葉によれば、プラトンとアリストテレスの協和は、ラテン人の中ではボエティウスが、ギリシア人の中ではシンプリキオスが示唆していた。またアウグスティヌスも、両哲学の合致を立証しようと努力した人々が多数居た事を伝えており、文法家ヨハネスも両哲学が異なるのはプラトンが語った事を理解しない人々の間でだけであると述べている。 ピコはこうした歴史的伝承を踏まえて、プラトンとアリストテレスの協和を確立しようとする。そして、この協和に関する一書を執筆しようと考えていた。ピコがとりわけこの問題に関心を寄せた背景には、15世紀のイタリアにおいて、プラトンとアリストテレスの優劣をめぐる論争が活発に行われていた事実があったのだろう。だが、生前にはこの著作は完成されず、我々に残されているのは、その一部となるはずであった、ポリツィアーノに献じられた小論考『存在者と一者について』だけである。ピコの議論の目的を一言で言えば、「神の名称」として、存在者と一社は同等にふさわし(236)い事を証明する事を通じて、アリストテレスとプラトンの協和を説くことである。彼以前のプラトンとアリストテレスの優劣に関わる議論は、主としてキリスト教にどちらの哲学がより合致しているのかをめぐって行われた。ピコの場合も同様に、キリスト教神学の問題が背景に存在しているのである。 『存在者と一者について』(第1章)で、ピコは一般に考えられている両学派の見解をあらかじめ提示している。ピコによれば、アリストテレスは多くの箇所で、一者と存在者が相互に呼応すると述べている。それに対して、アカデメイア派、すなわちプラトン主義者は、一者が存在者よりも先であると主張している。彼等の論拠の一つはプラトンの『パルメニデス』に存している。しかし第二章では『パルメニデス』はプラトンの真の教説が開陳されている書ではなく、むしろ「ある弁証学的訓練」「弁証学的作業」の書であると述べる。他方、同じプラトンの『ソピステス』においては、一者が存在者よりも優れているというよりむしろ、一者と存在者は等しい事が示唆されている。プラトンは、一者が存在者である事を確実なことと考えていたように思われる。
 存在者と一者 新プラトン主義者プロティノスにとって超越的な至高の存在は「一者」と名づけられていた。そして、中世においてこの教説をキリスト教の文脈で理解しようとした人々に(237)とって、神に最も適合した名称は「一者」であった。そのことはフィチーノにとっても同様である。彼は『プラトン饗宴注解(愛について)』(以下、『饗宴注解』)において、「当然にも、天使的知性に、万物のかの根源、最高善、プラトンが『パルメニデス』で「一自体」と呼んだものが優っている」と述べている。フィチーノによれば、プラトンが述べ、ディオニュシオス・アレオパギテスが確証しているように,「一自体」が万物を支配しており,両者は神の最も優れた名称が「一自体」であると認めているのである。『プラトン神学』に於ては、フィチーノは神の名称として、まず「善自体」或いは「善性自体」を挙げ、それが「一」と同じものであると述べている。 ピコはフィチーノ的な神理解にアリストテレスを対置し、それがプラトン的伝統と相反しない事を示そうとする。『存在者と一者について』第3章は、「存在者と一者が等しいかどうか議論されるときに使われる存在者という言葉は、二様の仕方で受け取られる」という記述から始まる。その第一の仕方は、我々が「無以外のもの全て」と理解する場合であり、アリストテレスが存在者と一者が等しいと述べたときには、(238)その意味で受け取らなければならない。また、プラトンが一者は「存在するところのもの」と等しいと述べているときには、彼は神の事を理解していた。つまり彼は「存在するところのもの」が真に適合し、真にあるものは、ただ一者なるもの、すなわち神である事を示した。神がモーセに「私は在るところのものである」(出エ3:14)と言ったように、存在者という名称が真に適合し、真に在るものは、ただ神だけであるという意味で、神に「存在者」という名称が付与されているのである。 続く第4章でピコは、第二の仕方について説明している。この理解に従えば、存在者の上に置かれるものが存在し、それが一者と呼ばれるものとなる。この論証の要点は、プラトン的な「分有」の概念である。光るものは光によって光、白いものは白さによって白くなるのと同様に、存在するものは「存在自体」を分有するがゆえに存在する。ところで神は、自らによって存在する「存在自体」であり、万物はそれを分有することによって始めて存在に至る。つまり、神は存在者というよりもむしろ、その上に在る「存在自体」である。ピコは続いて、神は「一者」とも呼ばれているのであるから、その限りで「一者」は存在者の上位に在ることになるだろうと述べている。 だが第5章で論じられているように、神が「一者」と呼ばれるときには、「神は何であるか」が、すなわち神の本質が示されているのではなく「神がいかなる仕方で万物で在るのか」が、すなわち神の様態が示されているのである。実は、「存在者」と同様(239)に「一者」も神の真の名称ではない。これらの名称は、具体的な存在について語っているのであり、神はそれらを超えたものなのである。神は本来我々が認識できず、名づけ得ないものである。「我々は今なお光の中にいるが、他方、神は自らの隠れ家を闇の中においている」。こうしてピコにおいては、フィチーノのように「一自体」が存在の上位に位置するわけではなく、両者とも神に於ては同じものとなる。したがって我々が語りうる限りにおいて、神は「存在者」であり、また「一者」であって、それは同等なのである。  人間の偉大と尊厳 愛の教説(( ジロラモ・ベニヴィエーニは、フィチーノやピコの友人でプラトン・アカデミーに属する詩人であった。彼の作った「愛の歌」は、フィチーノの『饗宴注解』の影響を受(240)けたものである。他方、ピコが施した注解は、ベニヴィエーニの詩の精神とは微妙に異なっている。ベニヴィエーニがフィチーノに全面的に依拠しているのに対して、ピコは、この注解を持って自分自身が計画している新たな『饗宴注解』の序論としようとしたからである。 ピコの注解は二つの部分に分かれており、前半部では諸存在に関する哲学的議論(第1巻)と愛に関する一般的教説(第2,3巻)が示され、後半部ではベニヴィエーニの詩句に対して個別に注解が施されている。第2巻でピコは、愛の定義から論述を始め、広義には、魂によきものとして表れる対象への、魂の傾向性と考える。ところで、よきものは多様なのであるから、愛も多様なものを対象とする。しかし狭義には、愛とは「美しいものや、我々に美しいと思われるものを所有しようとする欲求」と理解しなければならない。フィチーノは『饗宴注解』において、愛は「美の欲求である」と明確に定義していた。またピコは、愛は「他のものの美を享受し所有しようとする欲求以外の何者でもない」と述べている。 これらの愛の定義において、ピコはフィチーノに従っているが、美と愛の関係については異論を提出する。ピコによれば、欲求の対象は善や真、或いはそれらに関係したものである。つまり、対象が多様であることから欲求も多様であることになる。ところで、愛は欲求の一種であるが、それは美と呼ばれる善の一種に関わっている。それ(241)ゆえ、美が善から区別されるのは、種が類から区別されるのと同様な仕方であって、「フィチーノが述べているように、外的なものが内的なものから区別されるような仕方ではない」。確かにフィチーノは、「美とは神的善の輝きである」と述べ、いわば内的なもの(善)と外的なもの(その輝きとしての美)の関係で善と美を捉えていた。ピコは、それに対して、善を美の類概念と理解し、その意味で「美は善である」と述べるのである。 ピコは続いて欲求の概念の分析に移り、それを「自然的欲求」と「認識を伴った欲求」に区別する。被造物は全て何らかの完全性を、神的善性を分有することによって所有しており、「自然的欲求」とは、被造物に備わっている、善性の根源としての神への本性的傾向性を意味する。「認識を伴った欲求」のほうは、三つの認識能(242)力に対応して三つに区分される。すなわち、感覚には欲望が、理性には選択が、知性には意志が対応する。そして、欲望は物体的(身体的)によきものだけを欲求し、天使的知性は霊的イデアの観照にのみ向かう。他方、理性的な本性は、それらの中間としてある部分では感覚へ傾き、ある部分では知性へと上昇し、そして、これら二つの傾向性の間で選択を所有している。ピコは、これら三つの欲求を、獣的欲求、人間的欲求、天使的欲求と名づけている。ところで、愛とは美の欲求であるから、感覚、理性、天使的知性にそれぞれ存在する美に対する欲求は、獣的愛、人間的愛、天使的愛と称されることになるだろう。フィチーノとは異なる論証ではあるが、彼と同様に三つの愛を考え、それらが人間の魂に見出される事をピコは示している。
 魂の神との合一 またピコは、ベニヴィエーニ「愛の歌」の第6,7,8スタンツァの注解において、人間の魂が美の源泉へと至る「愛の階梯」に言及している。その過程は、個別的な身体の美にひきつけられる第一段階から、イデア的美の究極の住処である、普遍的な第一の知性に自己の知性を結合させる第6段階まである。ただし、この最終段階において可能となる合一は、普遍的な第一の知性、すなわち天使との合一であり、神自身との合一とされているわけではない。「天上的愛はイデア的美への知性的欲求である」というピ(243)コの定義からしても、人間の魂は愛の力によって神と直接的に合一することは無く、神の傍らで休息するにとどまらざるを得ない。 他方、フィチーノにおいては、天上的愛によって魂は「一自体」である神の無限の美に到達する事が出来ると考えられていた。前述したように、フィチーノに於ては、物体から神まで諸存在は一系列をなすものとして緊密に結合されていたのであり、魂は天上的愛によって神まで段階的に上昇する事が可能である。ところがピコは、創造者である神と被造物の間に厳然とした距離を措定している。神はフィチーノにおけるように存在のヒエラルキアの最上位の段階ではなく、被造物の天使的知性、理性的な魂、物体(感覚的身体)と言う三段階の上に存在するものである。『人間の尊厳について』に於ても、神は「万物を超えたところに存在する」と述べられており、『存在者と一者について』では、神の絶対的超越性が強調されていた。 それでは、人間と魂と神との合一を可能にするものは存在するのだろうか。『人間の(244)尊厳について』の中ではピコが、思考なるものを熱心に求め、それに到達するように我々の魂に「ある聖なる野心」を吹き込もうと呼びかける箇所がある。彼によれば「若し我々が、愛によってひたすら制作者自身を熱烈に求めるならば」セラフィムの似像となって炎と化すのである。また『ヘプタプルス』では、神が世界の全被造物を、平和と友愛によって結びつける契約によって作ったと述べたあと、次のような言葉でこの著作を終えている。「我々は、世界の最も聖なる契約を模倣しよう。我々が相互の愛によって「一」となるように、そして同時に、我々全てが神への愛によって、幸福にも神と「一」となるように」。これらの記述だけから、ピコにおいて人間の魂を神と合一させるのは愛の働きであった、と結論する事は早計であろう。しかし、ピコに於てもまた、フィチーノにおけるのと同様に、神を希求する人間の魂において愛が持つ重要な役割を見て取る事ができるのである。  占星術批判 ルネサンス期のイタリアは総じて占星術が流行した時代であった。例えばフィチーノは『三重の生について』で、星辰が地上に与える影響について詳しく論じている。しかしフィチーノはまた、誕生の際の星位(ホロスコープ)によって人間の運命が全て決定されるという説には組せず、我々は精神からの悪しき影響を抑制し、逆に星(245)辰に働きかけることも可能であると主張した。そのためにフィチーノが論じているのが音楽の効用であり、とりわけ「護符」の作成と使用である。例えば、長く幸福な人生を得るためには、ユピテルの像を透明か白い石に刻む必要がある。この像は王冠をいただいた姿で、鷲か竜の上に座り、黄色の衣服を身に着けている。この像は木星が「昂揚」するときすなわち蟹座の15度へと上昇する時刻に作成しなければならない。こうした主張に対して、『予言占星術駁論』を執筆して真っ向から占星術批判を行ったのがピコである。 ピコはこの著作の「序論」において次のように述べている―――私が占星術と述べるときには、星辰の大きさや運動を数学的に測定するという、正確で高尚な学芸を意味しているのではない。むしろ、未来の出来事を星辰によって読み解く事を意味しているのであり、それは良く深いうそつきの成すペテンであり、市民法と教会法によって禁じられている。確かにこの術は、人間の好奇心によって保存されてはいるが、哲学者たちは嘲笑しており、商人によって求められてはいるが、善良で思慮深い人々は怪しんだので(246)ある。この術を行った人々は、彼らの国籍から「カルデア人」と、或いは所業から「ホロスコープの占い師」と呼ばれた。 ピコは、星辰の地上に対する影響として、その運動と光の作用だけを認め、それ以外の秘儀的な効力を否定している。彼によれば、占星術師は、星辰の位置、たとえば諸惑星の「合」や、その他の空想的な結合、或いは自ら発明した天の「家」が、地上に影響を及ぼすと考えている。しかし、天界から受けるまことの影響とは、光と熱の力によるものである。「共通の運動と光の影響以外に、天上にはいかなる固有な力も存在しない」。。そしてこの運動と光は、いわば「普遍的なもの」であって、異なる個人に対して様々な仕方で作用するわけではないのである。牧夫や農夫たち、またしばしば無学な大衆さえも、大気の状況を精神からではなく、大気そのものの状態から予知する。医者が病人を本人自身から予診するように、彼らは大気を大気そのものからすなわち、それに固有の原理に基づいて判断し、そして誤る事は無い。ところが、占星術師たちは、「宇宙全体の中の遠く隔たって通じ合う原理から、それどころかさらに不当なことには、想像によって案出された虚構のものから、この事を行うのである」。 こうしてピコは、星辰にいわば物理的な力の影響しか認めず、地上における諸事物の作用を、それら固有の性質から説明する。この点から見れば、ピコの占星術批判は「科学的」なものと受け取ることも出来るだろう。しかしピコによるこの批判の眼目は別のところにあった。つまり、ピコが占星術を攻撃したのは、彼が『人間の尊厳について』において表明していた人間の尊厳を、占星術が損なうからなのである。
 自由意志の擁護 占星術は星辰の運動によって個人の運命を占い、星辰の特別な影響を個人の中に認める。その意味で個人は精神の支配の下に拘束され、その力によって強制されている。他方、ピコが『人間の尊厳について』において語った人間とは、自己の本性と宇宙における地位を自由意志によって選び取る存在であった。そして、この点に他の被造物を凌駕する人間の偉大、人間に固有の尊厳が存するとされていた。『予言占星術駁論』に於ても、この見地は維持されている。ピコによれば、「地上においては人間よりも偉大なものは無く、人間においては星辰と魂よりも偉大なものは無い」。若し人間が、星辰と魂の徳によって上方へと赴くならば、天をも凌駕することになる。そして、今度は物体へと向かい天を仰ぎ見るならば、自分の姿を「蝿よりも小さいもの」として見る(248)ことになるだろう。 人間の偉大と尊厳は、人間が自分自身の遺志と努力によって自らの本性を定めることに存するのであって、精神の力によるものでない。アリストテレスは確かに偉大な人物であったが、それは彼が好ましい精神の下に生まれたからではなく、身体的にも精神的にも高い能力を持って生まれたからである。そして、その能力を十分に発揮するように、哲学の研究を選んだのは、「魂と身体と自由意志の所産」である。また、この研究において前進したのは、彼の企てた意図と努力の結果なのである。「彼は運命によってより良い精神を与えられたのではなく、より良い才能を与えられたからであり、この才能は星辰からではなく―――才能は非物体的なものであるから―――神から与えられたのである」。あらゆる地的なものは、唯一神に由来するものであって、それは星辰を原因とするものではない。 ピコ研究のみならず、20世紀のイタリアにおけるルネサンス哲学研究を領導したエウジェニオ・ガレンは、若き日に著したピコ研究の「古典」と言うべき『ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ―――生涯と教説』(1937)において、次のような指摘を行っている。 ピコの思索を駆り立てている根本的な動機は、神に由来するがゆえに神的で、あらゆる自然的・人為的な束縛から自由な人間の星辰が持つ無限の価値の主張である。また、(249)彼の思索の出発点であり、中心であったものは、諸哲学の調和であり、それは思想の本質的な統一性の概念を含んでいる。  爾後、ガレンのピコ解釈については様々に検討が加えられてきたが、ピコの哲学全体を理解するに当たっては、ガレンが設定した視座がいまだに有効であると思われる。我々もまた、この視座によりつつピコの教説について概観してきた。そして我々は、ピコが常に真摯な哲学的探求に従事していた事を、しかし同時に、結局ピコは体系的な哲学を生み出すことが出来なかった事を認めざるを得ないだろう。その理由は、彼の早世にも求められるが、むしろ彼が企図した哲学的改革の新規さと広大さに求めるべきではないだろうか。広大の人々をも魅了してやまないピコの哲学的冒険については、彼自身が『人間の尊厳について』において引用していた言葉を繰り返すのが適当であろう。すなわち、「たとえ力が尽き果てるとも、勇気が必ずや誉れとなるだろう。大いなる事柄に於ては、欲したことで十分なのだ」。(249)(伊藤博明編『哲学の歴史 第4巻 ルネサンス 15-16世紀』、中央公論社・2007年)