2009年4月2日木曜日

ルネサンス文化の時代的特徴

ルネサンス文化の時代的特徴 古代「再生」の時代(3) フィレンツェとパドヴァ:1400年代フィレンツェにおける思想の内実とその展開は、主にヒューマニズムとプラトニズムの文化に関わっている。…… またこの15世紀はルネサンスと呼ばれる、ヨーロッパの重要な一時代を画している。とりわけ美術の分野ではジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)の芸術家列伝に示されるように、その「新たな再生」は画家マザッチョに負っていた。彫刻(4)家ドナテッロ、ギベルティ、建築家ブルネレスキは夭折したこの画家の同時代人であった。かれらの活躍した第2期(15世紀)は衰弱した中世のギリシャ(ビザンティン)様式に代わって、ジョットが新様式を樹立した第1期(13半ばから14世紀末)に続いていた。 そしてこの発展はヴァザーリ自身が属する第3期(16世紀)に完成期を迎える事になる。第3期は現代様式とも呼ばれ、ダヴィンチが開始し、神のごときミケランジェロで頂点を極める。ヴァザーリはコジモ宛献辞の始めのほうで取り上げられる芸術家の出身地が公の治めるトスカーナの出身者、とりわけフィレンツェ人である事を指摘する。終わりのほうでは、自身の時代以後の第4期に関わる叙述が、別人の手で成される事を期待している。こうしてかれは芸術「再生の進展」をつづる中であまたの芸術家の生涯と作品を不滅のものにしようとした。 この再生意識は視覚芸術だけにとどまるものではなかった。詩や文学の分野でも類似の理念が生じていて、ルネサンスは時代全般を表す概念となった。こうして原義が「再生」の意であるルネサンスという用語は、時代区分の明確な目印となった。…… その上で本書ではルネサンスの年代的範囲は次のように意識される。外延的にペトラルカ(1304-1374)とモンテーニュ(1533-1592)の間、つまり14世紀頃から1600年辺りまでを一応ルネサンスの時代幅と取る。それは内包的に19世紀の歴史家ブルクハルトが指摘した「世界と人間の発見」の時であり、一段と熾烈に古の著作品からの影響を受けながら、外界に対する客観的考察と個人の内的分析を高揚させたときであった。そのような時代の開始期にペトラルカの『わが秘密』が、他方終局点にモンテーニュの『随想録』が位している。 ……ルネサンスの文化運動が本場フィレンツェから本格化する以前、彼等にかかわりの深い都市国家パドヴァは古典文化の拠点であった。ブルーニによる……『イストリアのピエトロ・パオロに捧げられた対話録』の一節はこの事実を語る。主要な登場人物の一人で古典主義者ニッコロ・ニッコリが、ペトラルカの死後対して年数がたたないうちにこの地を訪問したところ、ここではペトラルカが尊敬されている事実を知り、フィレンツェと違っていたという。これはパドヴァでのペトラルカの名声が当地における古典への熱い視線と無関係ではなかった事を教えている。やはり同書に登場する主要人物サルターティは自らの書簡でムッサートやジェリ・ダレッツォの先駆的重要性を認めている。 (根占献一著『フィレンツェ共和国のヒューマニスト』、創文社・2005年)