2009年4月7日火曜日

Grund 2 Denken 1

第4章 ルネサンス哲学における「主観」・「客観」問題
ギリシャ哲学における霊魂と自我意識(187) ルネサンスの中世に対する関係は、古代に対する関係と同様、二面的にしてかつ両義的doppel-sinnigである。このような関係が最も明白に示されているのは、自我意識Selbstbewusstseinの問題に対するルネサンスの態度のうちをおいて他にない。ルネサンスを育んだところの精神的源泉は、全てこの中心問題へと流れ込むのである。しかし、今やこのような多様、かつ相反した歴史的条件の中から、直ちに新しい体系的な問いが生じる。こうした問いの意識的な定式化は、当然ながらルネサンス哲学の最終的な成果の一つとなる。即ち、デカルトにおいて初めて、ある意味ではライプニッツにいたって初めて達せられるものである。ここにいたって初めて、新しい、いわば「アルキメデス」の支店が見出され、且つ決定され、これによってスコラ哲学の概念世界は根底から変革されるのである。 従って、我々はまたここから、すなわちデカルトの「コギト」cogito、「我思う」の原理から近代哲学が始まったものとするのが常である。近代哲学のこの起源は一見、いかなる意味においても歴史的に媒介されたものではないかのように思われる。これはデカルト自身、自ら感じ言明しているように、精神の自由な行為に基づくも(188)ののようである。精神は一気呵成に、一回限りの自由な意思決定によって過去の一切を捨て去り、新しい思惟的自我意識den neuen Weg der denkende Selbstbesinnungの道に踏み出さねばならなかったかのようである。ここでは、漸進的な発展という事は何処でも問題にならない。問題となるのは真の「思惟方式の革命」Revolution der Denkartである。しかし、このような思惟方式の革命が最終的にそこから躍り出たところの知的・一般精神的諸力の生成とその持続的な成長の跡を辿ったとしても、この価値と意味は減ぜられることはない。これらの諸力はさしあたり如何なる統一も為さず、如何なる厳格な体系をも示していない。それらは互いに作用しあうというより、寧ろ相対立している。それらの出発点も様々に異なっており、また知的目的も様々であるように思われる。それにもかかわらず、それらは全て、それらの行ったネガティブな、否定的な仕事において一致するのである。いわば、それらは新しい、特殊=近代的な「主観」・「客観」関係についての基本的な考え方が生まれ出てくるところの土壌を弛緩させた事を意味している。 ルネサンス哲学の如何なる傾向も、こうした仕事に関与していないものは殆ど一つも存在しない。形而上学のみならず、自然哲学も、経験的な自然認識も、心理学のみならず倫理学も、美学もまた、この仕事に携わっているのである。ここでは様々な学派間の対立も和解を見ている。なぜなら、プラトニズムから生まれ出た運動がこの地点で、革新され改革されたアリストテレス主義にその起源を持つ運動と一致するからである。ここでは、時代の歴史的意識はその体系的意識とともに、同一の根本的な問いの前に立たされ、一定の客観的な解決を迫られる事になる。 自我意識の概念と世界概念den Begriff der Weltをともに神話的な思惟領域の中から引き出すのに成功したこと、これはギリシャ哲学の基本的な業績である。これら二つの課題は相互に制約しあっている。なぜなら、ギリシャ思想の描き出した新しい宇宙像は、ここに成立する新しい自我観照への道を拓いたからである。当然ながら、自我観(189)照は事物世界Dingweltのそれよりも、一層深く、一層緊密に神話的な構成要素や諸前提と絡み合っているように思われた。なぜなら、プラトンにおいてさえもなお、自我Ichの問題は魂Seeleの問題と解きがたく結び付けられているからである。プラトンの哲学的用語法をもってしても、この問題を表現する為に選ばれた言葉は、いずれも何らかの形でプシュケ(魂)の持つ基本的な意味に立ち帰らざるを得ないほどである。このような関係はプラトン自身の思想において、彼の学説全体を終始、支配しているあの絶えざる緊張のうちに表現せられている。なぜなら、弁証家プラトンが知識の分析を先へ先へと進めながら、また、より一層深くその基礎を築いていく過程で得た新しい根本的な認識でさえ、いまやプラトンの形而上学的心理学の用語を持って装われねばならないからである。 「ア・プリオリ」A prioriの概念規定及びその必然性根拠の提示は、想起説Anamnesis-Lehreという形式で行われるのである。確実性の程度および種類の区別は、魂のさまざまな部分を分離することによって、その根拠が求められる。プラトンの思弁の頂点は、晩年のいくつかの対話編において達せられるが、ここでは個々の問題範囲の境界設定が確実に、かつ鋭くなされているように思われる。テアエテトスでは、依然として、意識の統一を魂の統一En ti psycheesとして定義している。しかし、魂のこのような概念はすべての原初的=神話的な構成要素、すべてのオルフェイス的な魂概念と魂信仰を払拭してしまっている。魂概念はいわば、純粋思惟が近くの内容に対して行っているあの結合の前進的な過程、全身的な機能の単なるシンボルとなっている。それにもかかわらず、ここでもまた、モチーフの対極性、表現手段の対極性はなお存しているのである。 (190)プラトンおよびアリストテレスの霊魂概念 プラトン哲学は、互いに鋭く対立する二つの表現形式を識別する。ひとつの存在の王国das Reich des Seinsに、他は生成の王国das Reich des Werdensに妥当するものである。厳密な知識は常に存在しているもの、それ自身と同一であり続けるもの、常に同一の仕方で行動していくものについてのみ可能である。しかし、生成するもの、時間に制約されているもの、一瞬一瞬変化していくものについては、知識による把握は不可能である。せいぜい記述されるにしても、神話の言葉においてのみなされるに過ぎない。しかし、プラトンの認識論のこうした基本的な区別に従って魂を把握し、これを叙述するには、果たしていずれの認識手段が適切であり十分なものであるかを問うてみても、これに対する一義的な解答は得られないのである。なぜなら、魂は本来のプラトン的な区分けの枠からはみ出ているからである。すなわち、魂は存在の王国にも生成の王国にも属しており、またある意味ではそのいずれにも属していないからである。魂は中間存在・半陰陽であり、イデアの純粋存在をも現象と生成の世界をも断念することができないのである。 人間の魂は、それぞれその性質に従って存在者を観照してきたし、現に純粋な存在関係を把握する能力がある。しかし同時に、それは、感覚的な多数性および感覚的な生成への傾向、意図、志向をうちに宿しているのである。この二重の運動にこそ、魂の存立、その固有の本質が表現されているのである。魂はこのように生成と存在、現象とイデアとの間の「中間者」にとどまる。それは両極に、すなわち、存在者と生成者、同一なものと多様なものに関係付けられるが、一方の領域あるいは他方の領域に帰属してしまうこともなく、その領域に縛り付けられることもない。むしろ、それは純粋イデアに対しても現象に対しても、すなわち、感覚的近くの内容に対しても、固有のもの、独立したものとしてとどまるのである。思惟と知覚の主体として、魂は知覚されたものの内容と、あるいは思惟されたもの(191)の内容と一致することはない。 プラトンのティマイオスの神話的な用語はもちろん、このような区別を拭い去らねばならない。なぜなら、その神話的な用語は単に時間的な生起というひとつの次元のみしか知らないので、一切の質的な区別をすべて時間的な起源、時間的な創造のそれに移し変えてしまうからである。かくしてここでは、魂は混合存在Mischwesenとなる。すなわち、魂に対して創造者デーミウールゴスは相対立する二つの性質、同一なものと多様なもの、タウトンTautonとターテロンThateronという性質を刻印し、いわば融かしこんだのである。神話的な表現の本質と特性に従って、理性的な意味の差異が存在と起源という存在論的差異に置き換えられる。そして、プラトンの霊魂説は本質的にはこうした形式において公正に影響を与えたのである。 中世の全期間を通して、ティマイオスは哲学の基本図書であり、またカルキディウスの翻訳によって知られ、かつ読まれたプラトンの対話編のほとんど唯一のものであった。かくして、魂を主観性の原理として捉えるソクラテス=プラトン的霊魂説は、中世では神話的な衣装の装いの下でのみ、また神話的な客観化の下でのみ考えられたのである。すでに古代思想そのものにおいても、この客観化のプロセスは始まっていた。アリストテレスは魂を肉体の形式として説明する。しかし、そのようなものとしての魂は同時に、肉体のうちにあって活動的な、かつ肉体に内在している運動の力である。魂は肉体の理念的な「決定」を表現する目的因であるとともに、運動因でもある。なぜなら、魂によって肉体は前進的に展開しつつ、その決定へと導かれるからである。このように、魂は肉体の「エンテレケイア」として把握されることによって、再び純粋な自然力、有機的な生命の力、有機的な形成の力となるのである。 実際は、この学説の決定的な点で、アリストテレスは自ら彼本来の魂の概念を変更し拡張せざるを得なくなっているのを知る。なぜなら、アリストテレス本来の魂の概念は生の現象を包括し説明し得るとはいえ、知識のすべての決(192)定を包括するには不十分だからである。知識はその最も高い、もっとも純粋な形式において、もはや個にではなく、単に一般的なものに関係付けられる。すなわち、最早「質料的」な内容には関係付けられない。そうではなくて、純粋に知的な内容に関係付けられるのである。かくして、このような知識を己のうちに実現する魂の力は、対象と同一性質のものでなければならないが、とすれば、それはまたすべての肉体的なものから解き放たれたもの、肉体的なものと混合されないものと考えられねばならない。 しかし、このような区別は即刻、再び形而上学的=存在論的なものに移し置かれる。アリストテレスの理性(Nous)は純粋思惟、すなわち「永遠の真理」についての思惟の主体であるが、同じく客観的な精神体Geistwesenであって、有機体の形式としての魂が「自然体」Naturawesenであるのと同義である。魂が運動の力であるごとく、ヌースは思惟の力であり、外部から人間の中に入ってくるものである。 新プラトン主義はこうした定義を受け入れるが、同時に、アリストテレスにおいて当然備えていたところのあの特殊な性格を思惟力から奪い去っている。すなわち、新プラトン主義は思惟力を、あの一者から多へ、知的なものから感覚的なものへと下降していく諸力の一般的なヒエラルヒーの中に組み入れ、その中の一定の不動の位置を思惟力に割りあてているからである。このような新プラトン主義の考え方がさらに進めば進むほど、それだけ思惟力そのものと、具体的な個人としての人間にこの思惟力が出現する際のその形式との間には、数多くの半ば=神的な、半ば=悪魔的な中間存在がひしめくことになる。
 アヴェロエス主義(192) このような発展は、中世のアラビア哲学、なかんずく、アヴェロエスの学説においてその結論に達し、首尾一貫し(193)た体系的な公式を生むことになる。ここでは、魂が再び客体的=形而上学的な諸力の圏の中に完全に引き戻されており、これによって主観性の原理だけでなく、個体性の原理もまた放棄されることになる。思惟の基本的な力はあらゆる種類の個体化を飛び越えて、超然としている。なぜなら、知性そのものは決して多様に分離されるものではなく、絶対的な統一体となっているからである。思惟行為の本質はまさに次の点に存する。すなわち、単なる生物としての自我Ichは本来、孤立したものであるが、思惟行為によってのみ自我はこうした孤立性から脱出しうるという点である。思惟行為とは、自我がその孤立性を克服し絶対的なひとつの知性、「能動知性」Inellectus agensと融合することである。このような融合の可能性は、いまや神秘主義の観点からだけではなく、倫理学の観点からしても要求されねばならない。なぜなら、思惟の過程をまことに説明し、これをその必然的な妥当性において根拠付けることのできるのは、一人この融合のみであるように思われるからである。思惟のまことの主体は個ではない。すなわち、「自我」ではない。そうではなくて、思惟するものすべてに共通した非人格的な実体的な存在である。しかもこの存在と個々の自我との「融合」は、外的な偶然的なものにとどまるのである。 しかし、この地点において、この、アリストテレス主義と新プラトン主義とのかみあいから発展してきた論理学的=形而上学的体系は、いまや信仰の体系と公然と衝突することになる。しかも、これまではこの体系は信仰の最も信頼すべき支柱と思われていたはずである。キリスト教信仰は少なくとも「主観主義」の原理を、すなわち、自立の原理、個々の魂の「自己価値」の原理を放棄することはできない。この原理を放棄すれば、それ自身の基本的な宗教的前提を裏切る事になるからである。 13世紀の偉大なキリスト教思想家たちは、こうした分裂を感じていたのであり――そしてこうした分裂を避けるために、彼らはアヴェロエス主義が下したもろもろの体系的な結論に対して絶えず戦いを挑み続けたのである。トマス・(194)アクィナスはこれを論破すべく、特に『知性の統一についてアヴェロエス派を駁す』De unitate intellectus contra Averroistasなる一書を著している。この書の目指す基本的な狙いは次の点に存する。すなわち、アヴェロエスの命題は思惟現象を説明すると称してはいるが、実際はむしろ破壊しているということを示すことである。知性とはそれ自体何であるか、知性の一般的な本質は何であるか、このような問い自体、われわれは思惟の機能を働かせないで問うことはできない。しかし、このような機能そのものをわれわれは個体的な形式において以外、すなわち思惟しつつある自我に関係付ける以外、経験的に知ることはできないのである。したがって、このような自我を排除することはとりもなおさず、すべての認識論が成立するために依拠せねばならない事実を否定することである。さらに、アヴェロエスによって脅かされるのは、単に認識論だけではない。それ以上に宗教的な自己確信が、その特性とそのもっとも内なる核心において脅かされるのである。なぜなら、宗教的な自己確信が要求するのは、まさに宗教的な基本関係を構成する二つの要素、すなわち,神と自我がその独立性を維持することに他ならないからである。信仰の普遍的な内容、その絶対的な内容は、われわれが宗教的生の中心に身を移してのみ把握され同化されるのであって、それ以外では不可能である。しかし宗教的生にとって個Persoenlichkeitは単なる偶然的な障害、限界となることは決してない。個は宗教的生の不可避的な原理として、構成的な原理として作用するのである。 キリスト教の偉大な最初の体系家アウグスティヌスは、すでにもっとも先鋭な形でこのような結論に達していた。これは、後にデカルトが論理学者として、また批判的な認識論者として公式化したところのあの基本的な結論であるが、こうした結論にアウグスティヌスを直接導いたものが、彼の宗教的な主観主義であったことはよく知られた事実である。アウグスティヌスの宗教的な観念論と、デカルトの論理学的観念論のよって立つ原理は、まったく同一の内省化の原理、自己省察の原理なのである。「外に向かうことなく汝自身のうちに立ち返れ。真理の宿りたもうのは内なる人(195)の中なるがゆえに」Noli folas ire, in te ipsum redi: in interiore homine habitat veritas.。固有の存在、知識と意欲、すなわち固有の存在esse、知識nosse、意欲がvelle、すべての理論のゆるぎなき不動の出発点となる。なぜなら、精神は現に自らのうちにあるものほどよく知るものはないし、また精神そのものをおいて、いかなるものも精神のうちに現存し得ないのである。 このような命題において確認されているのは、形而上学的な霊魂説や神学の独断的な一切の結論に対する、宗教的な体験の優位である。自我を客観的な認識の構成的な図式の中に組み入れることは中止される。なぜなら、このような間接的な決定では、自我のもつ特殊な本質と特殊な価値に達することはないからである。自我の価値とは徹頭徹尾、それ自身、無比なる者sui generisなのである。
 ペトラルカとクザーヌスにおけるアヴェロエス主義との戦い(195) ルネサンス哲学とともに始まる変革を理解するためには、すでに中世の学問体系、生活体系に存していたこのような対立・緊張を心にとどめておかねばならない。アヴェロエス主義は、古典的なスコラ哲学体系によって蒙った一切の攻撃にもかかわらず、14・5世紀においても依然として、その理論的な基礎は微動だにしないように思われる。イタリアの諸大学では、アヴェロエス主義は長い間、支配的な学説であったし、本来はスコラ哲学研究の中心地であったパドヴァでは、アヴェロエス学説は15世紀前半から16・7世紀にいたるまで、その地位を維持している。しかし、徐々にアヴェロエス主義に対する反動は明白になっていく。特徴的なのは、こうした反動が学派の範囲内に限られていなかったということである。反動のもっとも強力な刺激は、他の分野から受け入れられる。 アヴェロエス主義に対する戦いを最初に宣したのは、ルネサンスの新しい人文主義的な教養理想と新しい人格理想(196)を抱いた人々である。この面でも、ペトラルカが先導する。ペトラルカは生涯を通してアヴェロエス主義に対して情熱的に反対するが、この反対には理論的な誤解がないわけではない。それにもかかわらず、このことによって幾分でもその価値を減ずることはない。というのも、ここで問題とされているのは単なる思弁的=理論的な議論を越えたものだからである。ここでは天才的な個性の本源的な生感情が問題となっているのである。すなわち、ほかならぬこの個性がその本源的な生感情の権利からして、こうした権利を制限し縮小せんと脅かしている結論に対して反抗しているのである。 「個性」をその汲み尽くすことのできない豊かさと価値において、再び発見した最初の「個性」の芸術家、巨匠が、すべての個性的なものを単に、何か偶然なもの、何か純粋に「偶有的なもの」とみなす哲学に抵抗しているのである。そしてこの戦いにおいて、アウグスティヌスがペトラルカの権威ある証人となるのである。ペトラルカは、精神の歴史的創造物の単なる客観的な内容に影響を受けるのではなく、歴史的創造物の背後にある創造者の生命を感得し追体験しようと欲した最初の人々の一人であるが、こうした能力によって彼は何世紀をも飛び越えて、直接、アウグスティヌスと接触するのである。個性の叙情的天才が、個性の宗教的天才に接して燃え立つのである。なぜなら、抒情詩と宗教はペトラルカにおいてひとつの流れとなって特徴的な神秘主義の形式を取るからである。 ペトラルカの神秘主義は、アヴェロエスのそれのごとき宇宙論的傾向を見せない。純粋に心理学的に方向付けられたものである。この神秘主義は霊魂と神との一体性を求めるが、それにもかかわらず、このような一体性はそお唯一にして本質的な最終目的ではない。そうではなくて、繰り返しそれは自我の内面的な動きを観照すべく沈潜し、かくして自我の多様性を賛嘆し、その矛盾さえも味わいつくそうとする。ここからして、われわれはアヴェロエス主義に対する闘いにおいて終始、ペトラルカが自らの信仰を強調したことがなぜであるか、またその信仰において自ら(197)を完全な正統的なキリスト者と感じ、そうしたものとして人間の理性の越権に対して信仰の単純さを擁護したのがなぜであるかを理解できるのである。――さらにまた他方において、このようなペトラルカのキリスト教が宗教的というよりきわめて個性的な、むしろ審美的な刻印を帯びていることをも理解できるのである。 哲学的な反省によって、アヴェロエス主義を克服せんとすれば、これとは別の道をとらねばならない。すなわち、感情と個性の享受に沈潜するのではなく、個性の、より深い新しい原理を樹立せんと努力せねばならなかったのである。この原理が最初に獲得されたのがニコラウス・クザーヌスの学説に於てであったことを、われわれは見た。クザーヌスがパドヴァで学んでいた当時、パドヴァ学派のアヴェロエス主義はその発展の頂点に立っていた。しかし、クザーヌスがなんらか本質的な点でアヴェロエス主義から思想的な刺激を受けたということを示すものは何もない。後年の体系的な主要著作の中で、クザーヌスはアヴェロエス主義の基本的な教義に対して断固として反対している。――しかもその際、論拠として用いられたのは、自らの形而上学に基づくものというより、むしろ認識論に基づくものであった。クザーヌスの認識論は感覚界と英知界との間に、絶対的ないかなる分離も認めない。なぜなら、感覚的なものと英知的なものとは互いに対立しているが、知性はまさに感覚的知覚のこうした反対、こうした抵抗を必要としている。なぜなら、知性がそれ自身の完成、それ自身の十全なる実在に達することができるのは、ひとえにこのような対立によってのみ可能とされるからである。 したがって、感覚的な質料からまったくはなれて実現されえるような精神的機能は、いかなる形でも考えられないのである。精神が有効であるためには、それにふさわしい「適合した」肉体を要求する。さらに、このことによって思惟行為の分化、個性化が肉体組織のそれと同一歩調をとらねばならないことになる。「汝の目の視覚は、たとえ汝の目から離され他人の目と結び付けられたとしても、その者の視覚とはなりえない。なぜなら、汝の視覚が汝の目にお(198)いて持つところのあの尺度を、他人の目に再び見出すことができないからである。――また汝の視覚にある識別能力は他人の視覚にあるそれと同一ではありえない。これとまったく同じく、ひとつの知性はすべての人間において思惟することはできないのである。」。 ここに躍り出ている思想は、ライプニッツにいたって初めて、完全に、体系的な展開と形成とを見ることになる思想である。純粋な思惟行為は感覚的なもの、肉体的なものを単に、どうでもよい無関係な基体としているのではないし、死せる道具のように純粋思惟行為に相対立している単なる器官としてそれを利用するのでもない。むしろ、思惟行為の力と仕事の本質は、まさに次の点にある。すなわち、それが感覚的なものの中に存している差異をそのようなものとして把握し、これを自らのうちに完全に再現するという点に存するのである。 かくして、個性化の原理Principium individuationisは思惟の単なる「素材」Materieのうちに求められえない。そうではなくて、思惟の純粋な形式のうちに基礎付けられねばならないのである。能動的な思惟力としての霊魂は、単にあたかも外の住居にいるごとく、肉体のうちに存する一切の差異、肉体のうちに生ずる一切の変化を表現するのである。このように、霊魂と肉体との間には結合の関係だけではなく、クザーヌスの言い方によれば,一般的な「適合」関係、一般的な比例関係が存しているのである。この際、クザーヌス自身認めているように、このような見解はアヴェロエスのそれと対立しているだけでなく、一定の新プラトン主義の学説とも対立している。しかし、それにもかかわらず、ルネサンスの新プラトン主義、すなわち、フィレンツェのアカデミーがこの決定的な問題において、クザーヌスとまったく同一基盤に立っていたということはきわめて特徴的なことといえる。(198) 新しい自然感情――ペトラルカ(214) ルネサンスの心理学は、その哲学的・学問的形式において「主観性」のより深い、新しい概念が生まれてくるところの、あの偉大な精神運動全体の最初の端緒を示すに過ぎない。ルネサンス心理学はいまだそれ自身で、ここに生じている新しい問題全体を包括し、公式化することができない。なぜなら、それは新しい問題を構成している二つの対立する要素をともに、真の統一においてみることに成功しないからである。あの古くからの戦い、即ち「精神主義」Spiritualismusと「自然主義」Naturalismusとの戦いは、こうした地盤では決着がつけられなかったのである。ルネサンス早期の心理学体系はここではさしあたり、唯一つの功績しか残していない。即ち、その唯一の功績とは、精神主義と自然主義との基本的な対立をもっとも先鋭な形で表現したことである。 ここでもう一度、「自然」の概念と「精神」の概念は人間の「霊魂」の支配をめぐって格闘するのである。理論的な霊魂説は二つの愛対立する基本見解に分裂したままである。すなわち、フィレンツェ・アカデミーにおけるごとく、精神主義の道をとる場合には、その霊魂説は究極的には自然の価値を深く傷つけずには置かない。また、ポンポナッ(215)ツィの心理学におけるごとく、「霊魂」と「生」を一つの統一体として把握する場合には、その霊魂説からは精神の特殊な立場、その「より高い」知的な、かつ倫理的な機能といった特殊な立場が全て失われてしまうのである。精神を永遠なもの、不滅なものとする考え方は、自然を否定せねばならない。また自然連関を唯一、無比なもの、また完結的なものとする考え方は不死を否定せねばならない。そして、このような相互排除の究極的な理由は次の点に存しているのである。すなわち、何よりもまず、このような対立が依然として純粋に実体的に把握されている、という点に存するのである。 「自然」と「精神」が依然として実在の二つの「部分」と考えられている限り、二つの内のどちらかが他を包括し、どちらかがそれによって包括されるのか、という問いは決定されない。絶えざる競争において、それらはいわば実在の全領域を戦わせているのである。精神はテレジオにおいては自然の特殊領域となって、自然の一般的な諸々の力、熱や冷たさといった力によって支配され動かされる。自然はフィチーノにおいては実在の一番下の階段になる。すなわち、恩寵の王国、「摂理」Providentiaと「運命」Fatumの階段の下に位置する。自然主義にとって精神的なものは実在の特別な「属州」であって、「国家内の国家」とみなされるべきではなくて、いわば、国家の包括的な法の下に保護されているといえる。 精神主義にとって、自然は「形相」の世界と「質料」の世界を結びつける鎖の最後の環である。探求が進められるのはこのような類の比ゆのかたちである。これらの比ゆは実は比ゆ以上のものといえる。むしろ考察の、共通の基本形式の典型的な鋳型といえる。このような状況にはじめて変化が現れるのは、自然主義的心理学であれ、精神主義的心理学であれ、いずれにせよルネサンス心理学の立っている前提が次第に変化し始めたときである。――即ち、「肉体」と「霊魂」、「自然」と「精神」についての実体的=事物的関係に取って代わって、機能的な関係が登場してきた(216)時である。 しかし、同時代の形而上学はこの新しい関係をそれ自身の力によって、我が物とし、形成していくことはできなかった。ルネサンスの形而上学は他の方面からの決定的な助力がなかったとしたら、あのスコラ学的な基本形式を粉砕することはできなかったであろう。なぜなら、このスコラ学的な基本形式は、ルネサンスの精神主義においてだけでなく、自然主義においても影響を与え続けているからである。その助けとは、一方では精密な経験的な探求から、他方では芸術理論から与えられるのである。この両者の結びつきは、ルネサンスにおける精神的発展全体において、新しい道を示したに留まらず、この道で哲学の先を歩いて、自然の法則性という新しい思想を生み出すのである。それとともに、『自由』と『必然』に関する根本的な問いもまた新しい段階に入る。 ルネサンスの科学理論は、その芸術理論とともに、同時代のこのような精神的な重要問題を無視することはできなかった。それらはいまや、この問題に対して新しい解答を見出す。しかし、この解答は形而上学の学派間の対立の圏外に立っているのである。自由と必然との二律背反は相関関係に変わる。なぜなら、純粋認識の世界を芸術家の創造の世界に結び付ける共通の特徴は何か、といえば、たとえ異なったやり方ではあっても、本質的に両者を支配しているのは他ならぬ、真に精神的な生産という動機であるという点である。すなわち、カント風に言えば、両者とも所与の「模写的な」kopeylicheあらゆる考察を超えて、宇宙の「建築学的」Aarchitektonische構成にならねばならぬという点である。科学も芸術も、このような自らの形成的な原機能を意識すれば、それだけ自らの服している法則を本来的な自由そのものの表現として理解することができるのである。 それとともに、自然の概念も、すなわち、対象世界全体もまた新しい意味を獲得する。「対象」はいまや自我に対(217)する単なる反対物、いわば自我に対して投げつけられたもの以上のものとなる。――対象とは自我の有している一切の生産的・形成的諸力が向けられるべき当のものであり、またそこにおいて初めて、自我の生産的形成力のそれ本来の具体的な確証が見出されるのである。自我は対象の必然性においてそれ自身を認識する。即ち、対象の必然性において、自我は自らの自由意志の力と方向を認識する。このような哲学的観念論の基本思想は、すでにニコラウス・クザーヌスによって、その一切の鋭さ、深さにおいて把握されている。しかし、このような基本思想が特有の影響力を発揮し、生き生きとした実現を見るのは、抽象的な思弁においてではない。科学的認識という新しい形式、また芸術的な直感という新しい形式においてであった。 自然概念の決定的な改変に至る最初の証拠は、もちろん、単なる理論のうちに、たとえそれが哲学的、あるいは科学的、あるいは芸術的な問題に関係付けられたものであれ、単なる理論のうちに求めるべきものではない。最初の証拠は、13世紀以来現れてきた自然に対する感情Naturgefuehlの変化のうちにある。自然は毒待てリック名=中世的な見方の中に閉じ込められていたが、その呪縛を最初に破ったのはペトラルカの抒情詩である。いまや、自然にまとわりついていた一切の奇異なもの、一切の不気味に悪魔的なものが自然から剥落する。なぜなら、叙情的な気分は自然の中に霊魂の実在に対する対立物を捉えるのではなく、至るところに霊魂の痕跡と反響を感じ取るからである。 かくして、ペトラルカにとって風景は自我の生きた鏡となる。もちろん、ここには自然感情の解放だけでなく、同時に限界も存している。なぜなら、自然はそれ自体、霊魂的な物を反映させるという、まさにその機能のうちに、単に間接的な、いわば反映された実在しか持たないからである。自然はそれ自体のために求められ、描写されるのではない。むしろ、自然の価値は次の点に存している。即ち、この近代的な人間が自己自身を表現する新しい手段、(218)心の内面の躍動と無限の多様性を表現する表現手段を、自然の中に見出したという点である。ペトラルカの書簡集には時折、驚くほどの明晰さと意識を持って、自然感情のこのような独特の両極性が明るみに出ている。自然感情は彼を駆って、内面の開陳から自然の描写へと向かわせるのであるが、まさにこの自然の観照において、彼は、己が再び己自身に、己自身の自我に立ち返っているのを感じるのである。いまや、彼にとって風景はそれ独特の価値と固有の内容を失う。しぜん感情は再び自我感情の単なる引き立て役に成り下がる。「なぜならば、かの地は、その居住者フランチェスコほど、栄光に満ちたものを何か持っていようか」quid enim habet locus ille gloriosius havitatore Francisco.。 ペトラルカの自然描写はいたるところ、このような二重性と特有な振動を示している。たとえば、このような自然描写のもっとも有名なもの、あのヴァントゥ山登山の話においても、この二重性は紛れもなく示されている。我々は、その特徴的な場面をよく知っている。ペトラルカは言うに言われぬ苦労をした挙句山の頂上に達するが、そのとき、目の前に広がる景色を見て時を過ごすことはせず、彼の視線はいつも持ち歩いている書物の上に落ちる。――それはアウグスティヌスの『告白』の中の一場面で、高い山嶺や広大な海原、星の運行を見て賛嘆すべく人は出かけていくが、それによって己自身を完全に忘れ去っていることについて物語っている場面である。ここには、考え方と気分全体の典型的な対立が、一つの文章の中に凝集されている。自然への衝動、その直接的な観照への憧れは、アウグスティヌスの警告によって抑制される。即ち、唯一の真に直接的な関係、つまり霊魂と神との関係にとって、自然への傾倒は危険しか生み出さないと、アウグスティヌスは見ているからである。「外に向かうことなく、汝自身の中に立ち返れ。真理は内なる人間に住み給うからである」noli foras ire, in te ipsum redi, in interiore homine habitat veritas.。このようなアウグスティヌスのモットーは、しぜんへの、つまり外的観照の世界への直接の接近を(219)全て妨げているかのごとくである。 かくして、ペトラルカの自然感情は結局、彼の世界感情全体に特徴的なあの緊張と同一の緊張に置かれたままである。彼は人間を見るかのごとく自然を見る。彼は世界と歴史を新しい光輝の中で眺める。しかし、この光輝自体が彼には繰り返し瞞着であり誘惑であるかのごとく思われる。彼の内面のこのような戦いを扱い、「心の悩みの秘密な戦い」について告解している書物、このような書物に対して、我々は近代的な魂と人間の最初の表現であると呼ぶことが出来ようが、ペトラルカはこの書物に対して、我々は近代的な魂と人間の最初の表現であると呼ぶことが出来ようが、ペトラルカはこの書物に対して、真に中世的なタイトル、即ち『世俗の蔑視について』De contemptu mundiなるタイトルを与えることが出来たのである。ペトラルカは自然に対して、あたかも世俗的な生活や名声に対するのと同じように接している。ちなみに、ペトラルカにとって名声とは世俗的な生全ての核心をなすものである。彼はこのようなものに情熱的に、抗し難くひきつけられるのを自ら感じているが、しかし囚われることなく、晴れやかな良心をもってそれらに身を任すことは出来ないのである。かくして、ここで成立しているのは、自然に対する完全に「感傷的な」関係であって、決して素朴な関係ではない。即ち、自然はそれ自身において理解され、感じ取られ、享受されることはない。自我に対するより暗い、あるいはより明るい背景としてのみ理解され、感じ取られ、享受されるのである。(219)
(エルンスト.カッシーラー著 末吉孝州訳『ルネサンス哲学における個と宇宙』太陽出版・1999年)