2009年4月5日日曜日

アプローチ

アプローチ(7) 本書(ピーター・バーク『イタリア・ルネサンスの文化と社会』)の主要なテーマは、中世的(「ゲルマン人の」「ゴート族の」gothic「蛮族の」)過去という一つのコードないし伝統との断絶、そして古典古代をいっそう親密なものとして模範としたもう一つのコードないし伝統の発展である。こうした伝統の変化は、過去のみならず、当時の歴史全般―――経済的活況と不振、政治的危機、社会構造の劇的というよりも漸進的な変化―――と関係を持っている。 芸術がその時代の歴史と関係を持っていることは言うを俟たない。問題はその関係を特定するやり方にある。[①精神史と、②史的唯物論]…… (8)精神史Geistegeschichteは、文字通り「精神の歴史」であり、芸術やとりわけ哲学を含むあらゆる形態の活動の中に表明された「時代の精神」を強調する歴史へのアプローチであった。いまだに最大のルネサンス史家であるヤーコプ・ブルクハルトやオランダ人学者ヨハン・ホイジンガを含む、こうした立場の歴史家達は、日常生活よりも観念から出発し、文化的・社会的な対立に目を向けないで共通の傾向を強調し、異なる活動の間に幾分漠然とした関連を想定する。一方、史的唯物論者たちは、日常生活から出発し、共通の蛍光に目を向けないで対立を強調し、「イデオロギー」の表現である文化は―――直接的にせよ間接的にせよ―――経済的・社会的な「土台」によって決定されると主張する。……「アナール学派」の学者達……の研究の目的は、……開かれた社会史であり、それは想像力の産物が経済的・社会的な力によって決定されるとは仮定せずに文化と社会との書関連を探ることである。……(9)マンハイムの世界観や世代に関する議論、デュルケームの自己意識と競争に関する社会的解釈、ヴェーバーの官僚制と世俗化の概念などは、いずれもルネサンス期のイタリアと関連を持っており、それらを一つに総合する事は可能である。 この研究では中心から外延に向かって作業を進める方法をとった。この中心とは、ルネサンス期のイタリアの芸術、人文主義、文学、音楽と我々が呼ぶところのもので[あるが]……、何故芸術はこれらの都市と時代においてこうした特定の形態をとったのだろうか。……(13)ルネサンス期の創造的女性は(女性パトロン、女性のイメージ、女性の生活様態の研究と共に)近年続々と発表される著作において本格的な研究の対象と成っている。残念なことに、こうしたアプローチの基本となる二つの概念―――「民衆的」と「文化」―――は、いずれも把握するのが極めて難しい。……文化とは何なのか。こうした問題に最近では……日常生活や「文化的慣習」の中にコード化された生活態度や、食べたり、飲んだり、歩いたり、話したり、病にかかったり(或いは病と思い込んだり)といった地域的慣習について研究する傾向が強まっている(Bourdieu, 1972, 1979)。 ……(14)西洋の文化的慣習を研究する西洋の歴史家達は、彼らが対象とする文化が自明のものとして継続していると思い込まないために[社会の基礎にある文化的慣習や価値観を研究すること]から距離を取る必要があり、異文化の民俗学的研究はこのための手段を提供する。これらの仕事は「ルネサンスの人類学的研究」(Burke, 1992b)と呼びうるものを助長するだろう。所謂「象徴人類学者」はとりわけ神話や儀礼や象徴を分析し、それらを彼らの社会状況の中に位置づけるための有益な方法や語彙を発展させてきた。 こうした研究状況には政治も含まれる。この十年ほどの間に文化史家たちはいっそう政治的な見方をするようになった。…… 儀礼はしばしば説得の手段であり、修辞学の一種、言語の一形態である。文化史家たちは近年、他(15)分野の研究者と同様、言語学や修辞学に関心を向けている。当然のことながら修辞学への文学史家の関心の復興は何も新しいことではない。しかしこの主題は歴史家が文学史家だけに任せるにはあまりにも重要である。その理由は、一つには文学のジャンル(詩や戯曲ばかりでなく、手紙、遺書、日記や法令)の約束事を知らずしては記述資料を批判的に利用することはできないからであり、また話したり書いたりする事は(民族言語学者や社会言語学者が指摘しているように)社会と独自の関係を持ち、またそれ自体の歴史を持つ人間の活動だからである。言語の社会史は漸く本格的に取り組まれるようになったばかりである。そこには、異なる時代に異なる社会層によって語られた様々な言語への関心だけでなく、同じ人々が異なる社会的文脈の中で用いる言語の多様性や社会的関係(尊敬、親密さ、敵意など)を表現したり作り出したりする言語利用への関心も含まれている。基本的な問いは「誰が、いかなる言葉を、誰に、いつ話すのか」ということである。儀礼や視覚的表象も、少なくともある面では、言語とみなす事が出来るし、或いはむしろ―――言語の優位性という仮定を取り去れば―――コミュニケーションの形式とみなすことが出来る。ルネサンス研究の分野では、修辞学への関心は決して新しいものではないが、肖像や建築、視覚的な物語表現はますますコミュニケーションの形式として研究されるようになっている。 ……(17)イタリア・ルネサンスはこれまでとはやや異なる視点から研究されるべきだと言うことである。それはブルクハルトにとってごく親しかった近代性という観念から離れて再構成され、「脱中心的」な方法で研究される必要がある。たとえば、ルネサンス文化の隆盛は、例えば古代ローマ風の建物はゴシック式や伝統的な中国式の建物より明らかに優れているといった類の、進歩と言う用語によって説明される必要はない。こうした過程はルネサンス運動を理解するためにも、この時代の個人や集団の達成を評価するためにも必要ではない。 ルネサンスを脱中心化するという別の方法を取れば、この運動型の運動や他の文化と共存し互いに作用しあいながら、終わりなき相互交流の仮定の中にある事が強調されるだろう。
(ピーター・バーク著 森田義之・柴野均訳『イタリア・ルネサンスの文化と社会』、岩波書店・2000年)