2009年4月7日火曜日

Burckhardt

(168)ルネサンスに関する問題点への付言 J.M.ドミンゲス1 ブルクハルトの総括に至るまでの書誌学 14,5世紀のイタリアで「人文主義者」と呼ばれた人々は、稀に見る文化高潮の時代に生まれ合わせたことを意識して、前時代を振り返り、主観的・偏見的一瞥を与えた。それゆえ、彼等は自らの、特に文学活動が古代文化の表現力豊かな形態を、そのローマ的概観の基に復元していると考え始めたのである。そこで暗示されるのは、西ローマ帝国の終焉と歴史上の現在との間に存する中断、或いは間隙の時代という考えである。これがのちに、ヨーロッパ史の時代区分を作り上げる元となった「中世」の概念の芽生えである。しかし人文主義者たちが「闇―光」「死―再生」(後世その後継者達は対照を誇張するようになった)という表現にもかかわらず、直前の(169)過去の時代に冠しては二十の判断、即ち、政治経済活動の面では肯定的、文化面では否定的判断を下している事は意味深い事である。 実際、15世紀には、人文主義的理想を抱き、同時に政治活動に強く引かれる人々が現れた。これらの人々は、共和主義的自由を理想とする見地に立って、当時の貴族諸侯の世紀を前時代と比較して、退歩的であると考えていた。時あたかもイタリアの諸都市が経済力と共同体(コミューン)の自由を同時に発達させていたので、これを比較して、まさにローマ帝政に対するローマ共和制の理想へと立ち返りつつあるかのように彼らには思われたのである。人文主義者であり歴史家であるレオナルド・ブルーニLeonardo Bruniとフラヴィオ・ビオンドFlavio Biondoは、こうした態度を良く表す例である。ブルーには西ローマ帝国の崩壊を、やがて都市コミューンによって政治的自由が回復されていくための一過程として積極的出来事とみなしている。ビオンドはローマ滅亡後の千年を752年(イタリアにおけるピピンの出現)までの混乱と衰退の時期と、都市が再建され、市民生活が繁栄し、平和と安寧が保持される時期とに区分している。 しかし、文化面では、その千年は、ローマと彼らの時代との間の連続性を断つ、間隙と見られた。イタリア以外のヨーロッパにおける発展の全容を見ないで、「ゴティック(当然「野蛮」と同じ意味に用いている)としてこれを軽蔑する事により、人文主義者たちは、後に侮蔑的に「中世」と呼ばれた時代の価値を理解できなかった。 芸術面におけるルネッサンス観の最初の体系的描写はジョルジオ・ヴァザーリGiorgio Vasariに負うものである。コンスタンチヌスの時代には創造的エネルギーが枯渇した事を指摘しながら、ヴァザーリは十三世紀における芸術の目覚めに注目し、これを十六世紀まで延長させる。この三世紀間における絵画・建築・彫刻をヴァザーリは「リナスシタRinascita’」と呼ぶのだが、矢張り幾つかの時期に区分している。彼の評価の基準となるもの(170)は、名称にせよ、規範にせよ、最早古典のそれである。「復帰」「回帰」「再開花」などの観念は、周知の如く、後世の歴史学において容認される事になった。(172)中世とルネッサンスと言う両概念の発展過程は結果的に平行しており、相互に依存している。ヘーゲルはその弁証法により、中世とルネッサンスの関係を純粋のアンチテーゼ(反律)として哲学的根拠を与えている。同時にルネッサンスについて述べるとき、これを伝統的な型から切り離す。すなわち、中世は超越性への執着によって特色付けられ、ルネッサンスは自然界における内在への復帰を意味し、そしてプロテスタント主義は、双方の立場の総合において、近代世界の統合を示すのである。自由を意識する「精神」の自己への復帰は、結果として現実に適合していくのである。即ち精神として発見された人間、および自然に立ち帰ることであった。ここから、あの有名な言葉「人間と世界の発見」に到達するには、最早一歩を遺すのみである。 このヘーゲル流の史観の後を継ぐのがミシュレーJ. Micheletであるが、彼の貢献は、ルネサンスの概念を、歴史的価値を与える為に、哲学的抽象の世界から移す事にあった。即ち、芸術と理性、真実と美の融合を行う事である。こうした融合は、ルネサンスという特定の時代の作品に表明されている。非常に主観的で国家主義者のミシュレーは、その高度の美文体をもって、あらゆる面で魅力的なルネサンスを示す事が出来た。美のルネサンスは、創造の世界の自由な表現としての新しい美術の登場、史学上のルネサンスは古典古代研究の刷新、(173)法律上のルネサンスは、多様で混沌とした古い慣習の中から起こる秩序の芽生え、最後に地理上、天文学上、生物学上、倫理学上では、世界と人間の発見がそのルネサンスである。「ブルクハルトの業績」の評価(173)ヴォルテールが中世の概念に関して行った事は、ヤコブ・ブルクハルトJacob Burckhardtが、その素晴らしい著書の中でルネサンス概念に関して行った。このスイスの歴史家の著作中には、彼以前のあらゆる研究が集大成されている。今日でも尚、多くのものが加えられつつあるその伝統的ルネサンス像に、彼は形質を与え、認可する。その上更に、19世紀半ばのヨーロッパ文明―平等化と民衆化されたーに対する彼の保守的で貴族的な嫌悪感は、彼を郷愁的な一幅の絵画の前に誘い、そこから彼自身の文化上の理想である一つのルネサンス主義が生ずるのである。ブルクハルトは、歴史上のある時代に、ある国民(イタリア人)に一つの「固有の精神」が存在すると考えた。従って、個々の事実は全てこの「固有の精神」によって解釈されねばならない。即ち、そうした事実は、それ自身の価値において評価されたものではないのである。それゆえ、あの若干主観的な「民族精神」という根源的概念の要請に従って、資料が強いて解釈される事もありうる。 ニーチェ的な言葉で表現された「超時代」たるルネサンスを、ブルクハルトは6つの異なる角度から表現する。第一、政治的側面(国家)、第二、心理的側面(個人)、第三、学識上の側面(古代復興)、第四、自然的側面(世界と人間の発見)、第五、社会的側面(社会)、第六、倫理的側面(道徳と宗教)。経済的、哲学的、科学的側面は特別な項を与えられていない。だが、とにかくブルクハルトのルネサンス像は、理論的で調和の取れた一つの総合なのである。それは後世に残される確定的・具体的ルネサンス像である。彼のルネサンスの特質は我々にも親しまれている。即ち、ルネサンスは中世に対する明らかなコントラストをなしている。異教的自然主義は(174)刷新され、中世のキリスト教の超自然主義に勝利を占める。かくして、ルネサンス人は中世人の知らなかった価値を獲得する。ユニークで自由な自立的な価値として自我を発見し、古典古代の模範に影響されて、個人主義が強調される。ルネサンス人は宗教的なあらゆる妨げや規範を無視し、超自然的理想に反して、溢れるような自然の賞賛の中に生きるのである。