2009年4月5日日曜日

文化的背景

文化的背景  (4)ブルクハルトは1860年の著書の中で、ルネサンスを近代社会によって生み出された近代的な文化とみなした。今日では、こうした見方は古臭く見える。ルネサンス間の変化は、一つには中世とルネサンスの連続性に関する学術的研究によるものであるが、それ以上に「近代」の概念の変化によるものである。1860年以来、古典的な伝統は衰退し、再現的芸術の伝統は断ち切られ、農村社会は都市的=工業的社会に変化したが、その規模は15-16世紀の都市や手工業とは比べ物にならないほど大きなものであった。人口の大半が農地を耕し、多くが文盲で、あらゆる人々がめまぐるしく変転する権力者に左右されたという意味では、ルネサンス期のイタリアは今日では「未発達」に見える。しかしこのように見ると、この時代の文化的な革新はますます注目すべきものとなろう。 (5)これらの文化的革新―――それは時の経過と共に新しい伝統を形成するようになる―――を理解し説明する……「文化」とは基本的に書物や美術品や歌舞演劇に表れた態度、価値観、そしてそれらが表現ないし具体化されたものを意味している。文化は想像的な物や象徴的なものの領域である。一方、「社会」とは、経済的、社会的、政治的な構造の総称であり、特定の場所と時間に特有の社会的関係のパターンとして現れる目に見えない構造である。……もし我々が絵画、詩、理論、演劇、歌謡、建築物その他を生み出した芸術家や著述家や演技者たちの自覚的な意図だけを見ていたのでは、イタリア・ルネサンスの文化というものを理解する事は出来ない……。例えばボッティチェリは板や画布に自分の個性をはっきりと表現しているため、500年を経たいまでも、ある作品が彼の手になるものである事を認定することは難しくない。しかし彼は完全に自由に創作したわけではない。現代の芸術家(6)たちが何をしているにせよ―――彼らの自由にしてもしばしば誇張されているが―――概してルネサンスの芸術家達は多かれ少なかれ言葉で指示されたものを制作していた。彼らに対する拘束も彼らの歴史の一部である。 とはいえ、ボッティチェリが自分の意思に反して『プリマヴェーラ(春)』を描くよう強制されたと考えるのは、ある朝彼の脳裏に全く自発的にこの絵の構想が浮かんだと言うのと同じ位滑稽な事である。個性を自発的に表現するというロマン主義的な概念は彼には当てはまらない。彼が演じた画家の役割は彼が属する文化によって(或いはその文化の中で)規定された役割であった。ある意味ではこうした社会的な役割の規定は一種の拘束である。我々は皆、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルが好んだ表現を用いれば、自分達の観念的前提や心性に「囚われて」いる。もう一人のフランスの歴史家リュシアン・フェーブルがよく言っていたように、あらゆる時代のあらゆる種類の思考を理解する事は不可能である。同時に、芸術家の役割について―――またその他多くのことについて―――互いに異なる定義が有効である社会が存在するし、ルネサンス期のイタリアもそのひとつであった。この多元性pluralismはルネサンス期の他の分野の達成にとっても必須条件であったと思われる。とはいえ、ブローデルの比喩はある意味で誤解を呼ぶ可能性がある。社会的な経験なしには、またそうした経験を我々に理解させてくれる文化的な伝統なしには、いかなるものも考えたり想像したりする事は不可能なはずである。後世にとって問題なのは、ルネサンスが中世と同じように疎遠な文化に、或いは少なくとも「半ば疎遠な」文化(Medcalf,1981)になってしまったことである。ある人が(7)当然とみなしている事を別の人は疑問視するために、しばしば誤解が生じる。当時の芸術家や著述家たちは次第に我々から遠い存在になりつつある―――あるいは我々が彼らから遠のきつつある。(7)
(ピーター・バーク著 森田義之・柴野均訳『イタリア・ルネサンスの文化と社会』、岩波書店・2000年)